内容説明
昭和十五年、東京・阿佐ケ谷の家の、庭から金木犀の花の香りが漂う部屋で、小さい私はいつも本を読んでいた。ませて見えないよう親にかくれ、読んでいたのは、鏡花に乱歩に漱石に、捕物帳に少女小説。いずれも花の妖しい香りによく似合っていた。今、金木犀の秋になると、向田邦子と父親の本棚の話をしたことを思い出す―。「昭和」という花の迷宮を彷徨い歩く著者の物語風エッセイ。
目次
金木犀の窓の下で
夾竹桃の花咲けば
足には黄金の靴を穿き
いのちの果ての薄明かり
かぐや姫いつ帰る
桜の幹に十字の詩
間謀暁に死す
スコットランドは燃えている
されど漱石
薄紫の靄の中で〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
24
風呂の焚き付けになりそうになっていた「新青年」の「真珠郎」や親が飾りとしておいているような世界文学全集、テンプレな少女小説を「ませた子供」と言われないようにこっそりと読んでいた早熟な5歳の久世光彦氏。検閲や戦争へ向かう時代背景の中、親に隠れながら本を読んだことを嘆くのではなく、寧ろ、あの時が一番、幸福だったと述べる凛とした気品を感じさせます。「陛下」、「一九三四年、乱歩」の土台になったエピソードも伺えて嬉しい分、「聖しいちゃん」の隠れてしまった哀切な残酷さへの視点が胸を撃ちます。2013/05/21
エドワード
18
映画にもなった小説「小さいおうち」に出て来る、戦前に女中をしていた祖母と孫の会話。「戦前は統制で暗い時代だったんでしょう。」「いいや、毎日お天気でしたよ。」昭和十年生まれの筆者が懐古する昭和十年代は、妖しく、美しく、浪漫に満ちて輝いている。子供だからこそ印象に残り続ける、小説、絵画、音楽、演劇、そして金木犀の香る家。江戸川乱歩、泉鏡花、夏目漱石、野村胡堂、蕗谷虹児、宝塚。親にかくれて小説を読む、というのが面白い。弥生美術館で見た陰影のある挿絵の数々は、他にメディアのない少年少女をさぞ魅了したことだろう。2015/03/30
よみ
7
久世さんのエッセイ好き過ぎて色々読んでいるせいで、なんだか久世少年の人生を追体験しているような錯覚を覚えている(やばい)2020/07/26
ダイキ
6
戦前生まれの人が幼少期を回想する時には、三島由紀夫の『天人五衰』の末尾のような、苛烈で酷薄としたものとなるのが凡そであるが、久世さんの場合、御真影が掲げられた窓前に漂う、金木犀の甘やかな匂いが全てを包み込んでいる。甘く恍惚としているが故に、喪失の虚しさはある意味一層のものであり、戦後に建て並べられた英語標識にまで金木犀は同じように香る。一体にいつまでが夢を見ていて、いつから現に在ったのか、心づくことのない寝覚め、喪失の喪失、それも一種の幸いであったのかもしれない。逃げ水のように途絶えない、凋落の甘やかさ。2019/10/22
みーすけ
5
(借)物語風エッセイ・・・・。戦前の5歳はなんておませさんだったのでしょう。昭和という想い出が夕焼けと金木犀の香りで彩られてしまいそうです。2013/05/08