内容説明
「おやじ、死なないでくれ―、と私は念じた。彼のためでなく私のために。父親が死んだら、まちがいの集積であった私の過去がその色で決定してしまような気がする」百歳を前にして老耄のはじまった元軍人の父親と、無頼の日々を過してきた私との異様な親子関係を描いて、人生の凄味を感じさせる純文学遺作集。川端康成文学賞受賞の名作「百」ほか三編を収録する。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
じいじ
97
先日、伊集院静の『いねむり先生』を読んでいて、文中に色川氏の今作が出てきて急遽読んでみたくなった。家族を描いた四篇の私小説。とりわけ表題作の「百」が気に入った。弟の嫁から「お兄さん、ちょっと来てください!」と助けを求める電話が…。95歳の父夫婦を弟夫婦に任せたまんまの負い目がある文筆業の主人公は……。たった24頁の短篇なのだが中身が濃く奥深い小説で、二度読み返した。途中幾度となく立ち止まって考えさせられる、とても疲れる小説だったが、もう一度読み返したくなるだろう小説である。2021/06/23
Willie the Wildcat
60
転機の齎す変化。それまでの半生で培った価値観が、根底の言動と心身の乖離。加えて、時間の経過が齎す距離感の変化。現実を目の前にして問われる心底の本質。良い時、悪い時・・・、それでも家族であり、だから家族という読後感。『永日』と『連笑』が陰陽の対極の中、表題作が間を取り持つかのような印象。妥協ではなく、自然と導かれたかのような新たな距離感が羨ましくも感じる。本著タイトルの意味にも納得。2016/10/01
Y2K☮
38
父親に対する繊細な葛藤を綴った私小説的短編集。私の中では最終的に「主人公も弟も父を気にかけるのは己のため」へ着地した。芥川龍之介「枯野抄」を連想。愛情や思い入れも皆無ではない。でもなまじ似通っていたら話の通じなさにいっそう苛立つし、無関心ではないからこそ相手の無理解に不満を覚え、互いの存在に煩わしさやもどかしさを抱く。いずれにせよ物理的にも精神的にも両立不可。弟みたいに深く突き詰めず、親子の関係性を概念だけで浅く捉え、文句を押し殺して世話をするのが世の中のスタンダードだろう。誠実ではないが苦労は絶えない。2022/07/28
メタボン
33
☆☆☆★ 私と父の関係性について執拗なまでに問う。そして弟との関係性についても。父を何度も切り捨ててきた、そして96歳で老耄した父に対しての自分の処し方がもっとも際立って捨てたと自責する。物語としては淡々としたものが多いが、父と私の距離感に対する長年の思いがなかなか読ませる。2015/10/09
シュラフ
23
伊集院静の『いねむり先生』の表紙を見た人ならば、その表紙絵の不気味さ・滑稽さを思い出すだろう。若い男と並んだまるで妖怪のような人影(スターウォーズのヨーダ博士のよう)。それこそ阿佐田哲也であり、この小説の作者である色川武大である。この小説はいわゆる家族の関係を描いた文学小説。おそらくはなんの予備知識もないままにいきなりこの小説を読んでも意味不明で、なんの面白みもないだろう。すでに幼少期からその容姿を自ら畸形と認識しながら、父親からの異常すぎるほどの偏愛を受けながら、人とは違った育ち方をした男の物語である。2015/07/15