内容説明
天下第一の詩人、歌聖柿本人麿は、時の政権に地位を追われ、はるか石見国に流罪刑死!斎藤茂吉、さらには遡って賀茂真淵の解釈によって定説とされて来た従来の常識を徹底的に粉砕し、1200年の時空を超えて、日本古代史と万葉集の不可分の関係をえぐる。人麿の絶唱は何を意味するか。正史から抹殺され、闇の中に埋もれた巨大な真実を浮彫りにする雄渾無比の大作。
目次
第1部 柿本人麿の死―斎藤茂吉説をめぐって(斎藤茂吉の鴨山考;鴨山考批判;柿本人麿の死の真相)
第2部 柿本人麿の生―賀茂真淵説をめぐって(賀茂真淵の人麿考;年齢考)
著者等紹介
梅原猛[ウメハラタケシ]
1925(大正14)年、宮城県生れ。京大哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長等を歴任。’92(平成4)年、文化功労者。’99年、文化勲章受章。主著に『隠された十字架』(毎日出版文化賞)、『水底の歌』(大佛次郎賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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chantal(シャンタール)
86
歌聖と呼ばれる柿本人麿の死に迫る梅原先生の大胆論説。まず、石見国で亡くなったことすら知らなかった。辞世の歌に出てくる「鴨山」を頼りに人麿終焉の地を島根県の山奥の地とする斎藤茂吉の説をこれでもかと言うくらい鋭い舌鋒で打ち砕く梅原先生。人麿の死はただの病死ではなかったと結論づけるまでの見事な論証。引き続き、なぜ歌聖とまで言われた人麿がそんな風に死ななければならなかったのか、の謎に迫って行く。今度は江戸時代の定説、賀茂真淵説を論破するのだが、参照文献(古文!)が多く、読むのに骨が折れるのが難点😅下巻へ!2021/06/13
NAO
60
万葉集に最も多くの歌が載せられている柿本人麿。彼は、その死後も、のちの歌人・文化人たちに敬われ続けた。だが、時の皇族たちに随行して代わりに歌を詠んだり、彼らを讃える歌を詠んだりしている人麿なのに、彼の名は正史には全く見えない。しかも、中央で華々しく活躍していた人麿が亡くなったのは、辺境の石見。人麿の終焉の地を発見したとする斎藤茂吉の論文を徹底的に論破し、作者は、人麿の人生について独自の考察を展開。2020/04/10
fseigojp
21
初期万葉の代表、人麿は挽歌に優れていたが、妻恋の歌のほうが哀切 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉だすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる2016/05/08
しんすけ
17
読書中に何度も浮かんだのは、近代以降の合理性は人間自身の罪意識を薄いものにしたとの疑問だった。その理由は最後に書くことにする。 梅原猛は人麿の死を、島流しの結果の処刑と観ている。その処刑を命じたのは藤原不比等であろう。確証はないが藤原一族が謀略をもって政務を営む時代であれば、夢を抱き描く詩人が生きていく道は狭まって当然だと思う。 宮廷歌人として額田王に続く人麿であるが、額田が座女の位置に甘んじたように藤原氏勃興期に生きたものは酷薄な運命が待っているように思える。2020/03/29
松本直哉
16
差し迫った自らの非業の死を予感して歌う「自傷(自らかなしむ)」の詞書のある歌が万葉集には有間皇子と人麿の二首しかないところから、前者の辿った運命に人麿のそれをなぞらえるところは説得力があった。藤原不比等が権力を掌握するのと相前後して消息を断つこの詩人の謎の多い生涯に、テクストの丁寧な読解を通して、権力への叛逆と流竄を読み取るくだりが興味深い。万葉集を恣意的に解釈する斎藤茂吉に厳しい批判が浴びせられるが、叛逆の詩人人麿を描くことで戦時体制に協力を惜しまなかった茂吉を批判 する意図もあったのだろう。 2016/10/13