内容説明
八重洲口にあった“遠山の金さん”の北町奉行所。丸ビル入居第一号・高浜虚子の意外な先見。落成披露日に大震災、帝国ホテルの数奇な運命。六代円生も親しんだ神田須田町の賑わい。あんみつ誕生秘話―。江戸東京四百年の歩みを101のコラムとイラスト・写真でつづるシリーズ第一弾。日本橋、銀座・築地、丸の内・皇居、神田・お茶の水を収録。散歩人のための地図・ガイド付き。
目次
日本橋界隈(道のりの総元締は日本橋;「トウケイ」と読んだ文人派 ほか)
銀座・築地界隈(銀座の原点、中橋興行街;銀座の大倉、日本橋の安田 ほか)
丸の内・皇居界隈(八重洲の昔は丸の内;草っ原の中に東京駅誕生 ほか)
神田・お茶の水界隈(将門が復活した神田明神;神田錦町は護持院ケ原 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kinupon
35
東京案内本。ほとんどの地域が大きく変わってしまっています。本当に東京という都市は移り変わりが激しいですね。、2015/11/24
yukioninaite
1
丸ビル建築時の大正12年2月。に高浜虚子が希望して「ホトトギス」の事務所を置くためにテナントに入っていたなんて、初耳でした。俳句を時代の先端をいくビルで新しい世界を開拓しようとしたとは・・・。年寄りの趣味のように感じる俳句の世界がこんなにアクティブだったとは知りませんでした。ちなみに三菱地所の赤星部長は高浜の卓見に敬服して門下になったそうです。2016/06/07
Satoru Kobayashi
1
大正時代までは神田須田町が東京一の歓楽街だったという衝撃。2016/04/30
Yanabod
0
都心の場所をそれぞれ簡潔かつ丁寧に語ってくれており、読みやすい内容となっておりますがすでに10年前なので秋葉原のあたりはかなり変わっており、時代の流れを感じずにはいられない内容となっております。2015/03/16
ナウラガー_2012
0
日本橋:1603年、家康が江戸に幕府を開いた年/鴎外や二葉亭四迷などの文化人は最初の「東京」を「トウケイ」と読んだ。漢詩文で「前漢の都・長安に対し、後漢の都・洛陽を東京(トウケイ)」という異称で呼び習わしていたためと思われる/神田・須田町はかつて電車の停留所があって、東京一の盛り場だった。中央線は昔、東京駅まで繋がっておらず、万世橋駅が終点(現・交通博物館付近)でこの辺りは電車のターミナルだった。寄席もいくつか点在し、東京一の盛り場だった。2012/12/09