内容説明
トライアヌスの後を継ぎ皇帝となったハドリアヌスは、就任直後、先帝の重臣を粛清し、市民の信頼を失っていた。しかし大胆な政策や改革を実施することにより人気を回復。そして皇帝不在でも機能する組織固めを確実にしたハドリアヌスは紀元121年、念願の帝国視察の大旅行に旅立つ。目的は帝国の安全保障体制の再構築にあった。治世の三分の二を費やした、帝国辺境の旅。それを敢行した彼の信念とは…。
目次
第2部 皇帝ハドリアヌス(少年時代;青年時代;皇帝への道;年上の女;登位時の謎;皇帝として;粛清;失地挽回の策;ハドリアヌスの「旅」;ライン河;再構築;ブリタニア;ヒスパニア;地中海;オリエント;アテネ;北アフリカ;「ローマ法大全」;ヴェヌス神殿;パンテオン)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
417
「至高の皇帝」トライアヌスの後を継いだのはハドリアヌスであった。時に御年41歳。ただ、彼の治世のスタートは血塗られたものとなった。まず、彼がほんとうにトライアヌスの後継者として指名されたのかが不明である。そして、彼は皇帝に即位後すぐにトライアヌスの重臣であった4人の将軍(しかも4人ともが執政官経験者である)を裁判にもかけずに殺害することで粛清する。大問題であったはずだが、彼はなんとかそれを切り抜ける。しかも、パルティアからの撤退というもう一つの大問題をも。相当に有能な皇帝であったようである。2020/09/05
レアル
107
ハドリアヌスの前期の治世。東方覇権地を放棄し、国の防衛に重点を置く一方、広大なローマの領地を隈なく見て周り、現状把握に努めた皇帝。自分の目で確かめ、そして政治、法律、文化など、あらゆる面で帝国の統合を進めた。無駄のない機能的な皇帝ハドリアヌス。次巻、後期のハドリアヌスはいかに!2014/03/18
ハイク
98
ハドリアヌスはダキヤでローマ軍団の幹部を歴任して、その後トライアヌス皇帝に認められ執政官に抜擢された。トライアヌスはパルティア戦役中に死んだ。後釜にはすでに皇帝に指名されていたハドリアヌスが成った。公正な税制改革や政治改革を行なった。ローマでの改革の後、皇帝は各地を巡察の旅に出向き、国境の整備に力を入れた。軍事的脅威のある所では防壁を構築した。特筆するのはブリタニヤ北部にハドリアヌスの長城という防壁を構築したことである。各地の巡察は彼の皇帝の30年間の内で約13年にわたる年数をかけ体制の再整備を行なった 2018/11/29
ケイ
93
ハドリアヌスもアンダルシアのイタリカの出身。父が死ぬ前に、まだ皇帝になる前のトライアヌスにハドリアヌスの後見人になってもらいように頼んでいたため、彼の10歳からの教育はトライアヌスに託される。ハドリアヌスは、皇帝になると、トライアヌスの重鎮であった4人を部下に粛清させる。これはドミティアヌスの恐怖政治の再来かと恐れられるも、その後は元老院を見方に付けるべく、穏健な政治を行う。ローマの東の端を無理のない境界とし、15年にかけて領土を視察してまわった。2014/11/12
優希
82
5賢帝のうち、今巻ではハドリアヌスを扱っています。最初のうちは信頼がなかったようですが、徐々に改革を行う度、人気を得ていきます。ローマにいる時間よりも、領地内をまわっている方が長かったようですが、それでも信頼を失わなかったのはその権力あってこそでしょう。問題ない治世が行われていたのは、ハドリアヌス時代にも問題がなかったからに違いありません。2018/08/31