新潮文庫<br> 司馬遼太郎が考えたこと〈7〉エッセイ 1973.2~1974.9

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新潮文庫
司馬遼太郎が考えたこと〈7〉エッセイ 1973.2~1974.9

  • 司馬 遼太郎【著】
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  • サイズ 文庫判/ページ数 503p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784101152493
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0195

内容説明

’73年10月、第四次中東戦争が勃発、日本中に石油ショックの激震が走った。町からネオンが消え、主婦はトイレットペーパーを求めて奔走、世間に漠然とした“終末観”が流れる。このころ司馬遼太郎は『空海の風景』の連載を開始。いっぽうベトナムなど活発に海外を旅行して、文明と文化に関する独自の考察を深めた。この巻にはルバング島帰還兵・小野田寛郎氏への戸惑いを綴る「服従について」など58篇を収録。

目次

よみがえる新鮮さ
著者・富士正晴氏のこと
歴史と風土
無題(「日本のなかの朝鮮文化」を励ます会)
竜馬像の変遷―戦後によみがえる像
五箇条の御誓文出る(『市民の暦』明治元年3月14日)
赤尾谷で思ったこと
黒鍬者
何物かという点(第68回直木三十五賞選評)
奈良本さんのこと〔ほか〕

著者等紹介

司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923‐1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。’66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。’93(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、’71年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72
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感想・レビュー

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i-miya

57
2014.01.20(01/12)(つづき)司馬遼太郎著 01/20 (p109) 妙麟庵が、その小城を死守するという精神はよほど異常なことである。 二人の息子を戦いで死なせた、失ったことと関係か。 彼女の性格?長男は竜造寺との戦いで、次男は島津との戦いで失った。 彼女がクリスチャンであったとすれば以下のことが考えられる。 宗麟、洗礼名=ドン・フランシスコ。  2014/01/20

i-miya

49
2013.12.12(12/12)(つづき)司馬遼太郎著 12/05 妙尼麟の長男は、〇久は大友が竜造寺を攻め込んだとき、戦死した。 「七里の間、屍ばかり」と言われた凄惨な戦場で死んだ。 私が采配をとりましょう。 目をみはるような異常事態。 前例はない。 家老がいたはずだし、うろたえるばかりで無能者ぞろいだったに違いない。 大友氏、中世の門閥体制、そのまま残していたのに違いない。 高橋紹運、立花宗茂がよくこの大友にいたものだ。  2013/12/12

優希

48
石油ショックの時期になります。世間は終末観に襲われていたことでしょう。この頃は『空海の風景』が執筆された頃ですね。海外に活発に渡航し、文明と文化を自らの中に彫り込んでいるのが印象的です。2023/03/25

i-miya

41
2013.03.10(つづき)司馬遼太郎著。 2013.03.07 ◎竜馬像の変遷-戦後によみがえる像。 歴史人物の後からの評価。 朝鮮史における李舜臣の日本で明治後評価され、朝鮮では1945独立後、国民的英雄となる。 李舜臣を好まなかった李朝体制が、李の死後300年も続いた。 船中八策は五箇条御誓文の一案となるもので、いわば議会政治の提唱をしたものである。 2013/03/10

i-miya

40
2013.11.11(2013.11.11)(つづき)司馬遼太郎著 2013.11.10 (p103) (大友宗麟関連) 秀吉の九州出兵、徳川家康の臣従がまだで動けない秀吉、そのすきに島津攻勢、大友を攻めようとする。 大友、なすすべを知らない。 わずかに岩屋城を守る高橋紹運(じょううん)入道と、その実子たる立花宗茂ぐらい。 高橋は敗死、宗茂のみよく防ぐ。 立花城の攻防の激しさで天下に名を知らす。 やがて秀吉、及びのち家康から格別の会釈を受け、江戸期、筑後柳川の立花家として残る。  2013/11/11

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