内容説明
阿蘇に旅した“豆腐屋主義”の権化圭さんと同行者の碌さんの会話を通して、金持が幅をきかす卑俗な世相を痛烈に批判し、非人情の世界から人情の世界への転機を示す『二百十日』。その理想主義のために中学教師の生活に失敗し、東京で文筆家としての苦難の道を歩む白井道也と、大学で同窓の高柳と中野の三人の考え方・生き方を描き、『二百十日』の思想をさらに深化・発展させた『野分』。
著者等紹介
夏目漱石[ナツメソウセキ]
1867‐1916。江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、「吾輩は猫である」を発表し大評判となる。翌年には「坊っちゃん」「草枕」など次々と話題作を発表。’07年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50
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感想・レビュー
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のっち♬
173
金による権力が横行する世の中への憤りが吐露された2篇。『二百十日』の圭さんは著者譲りの気骨ある慷慨家だが、その発言は暗示的。これが『野分』で道也を軸に具体性を帯びるので流れとしてもスムーズ。知識人の経済的困難や家計の不如意についての夫婦間軋轢など『吾輩は猫である』『道草』と重なる構図が見られる。愚痴っぽさや中野の登場はコミカルでもあり、一方的善意による金銭の無心というのも珍しい大らかさ。社会批判がストレート過ぎて人物の陰影はやや乏しい。一人坊っちを結果ではなく前提と見れば「自由」が人の為めに向いたりする。2022/06/14
ケイ
145
「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があるという事とは独立して関係ないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金をとるから学者にはなれないのである。学者には金がない代わりに物の理がわかるので、町人は理屈がわからないからその代わりに金を儲ける」「自分達は社会の上位に位して一般から尊敬されているからして世の中に自分ほど理屈に通じたものは無い。学者だろうがなんだろうが俺に頭を下げねばならんと思うのは憫然のしだいで、彼らがこんな考えを起こす事自身がカルチャーの2017/12/08
優希
121
同時期に書かれた2作品がおさめられています。ユーモアと社会批判という対照的な作品ですが、俗世間の痛烈な批判と非人情から人情への世界へと導こうとするテーマは共通しているように思いました。会話主体で軽く読める『二百十日』、その世界を引きずりながらも鬱と深みを感じさせる『野分』。漱石の思想を反映している作品と言えるでしょう。2015/10/10
ゴンゾウ@新潮部
119
「二百十日」とても良かった。圭さんと碌さんのふたりの洒脱な会話の中に漱石の反骨精神が描かれている。「野分」は「草枕」に比べわかり易かった。学者としての漱石の志しが道也先生の不器用でぶれない生き様を通して訴えかけられる。2016/09/16
mura_海竜
111
碌さんと圭さんの押し問答が続く。その会話の中にほのぼのしたものを感じる。二百十日(9月1日頃)は立春からの210日目のことで風雨の強い日が多いことから、農家の厄日とされている(関東大震災はその9月1日)。阿蘇の山を登っていくが、噴煙が雨と混ざり体にまとわりつき、二人は進むことをあきらめる。隠喩的に社会の華族(金力や威力)にあらがう様子を表現しているともとれる。阿蘇登山のところは集中して読んだ。その当時に比べると自分の努力でできること増えているのかもしれません。野分は読まず『二百十日』のみ拝読。「ねえ」。2016/12/18