出版社内容情報
才気と美貌、そして男。すべてを手にした女の悲劇とは? 漱石、もうひとつのデビュー作。
大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
229
家庭的な糸子や恋に悩む小夜子と違って、男を迷わせなければ愛せない藤尾。この〝我〟に囚われた女の傍らに三人の男がいる…結婚を意識した宗近は外交官を目ざす剛毅の人、恋人の小野は処世に気を取られる文学の人、兄の甲野は《凡ての拘泥を超絶》せんとする哲学の人。対決的な会話から人間関係を導く所は西洋の小説の影響なのだろうが、ここにあるのは道義や人情と我の葛藤であり、勧善懲悪という観点から見た明治社会の縮図だ。やはり『猫』から続く思索の過程を想う。俳句・漢詩に通じる書き方や甲野の哲学的な日記には、一人称体の名残もある。2023/12/26
優希
149
漱石が職業作家になった第1作目になります。男女の関係が通俗的な感じがしました。結婚問題がどんどんこじれていくのが面白かったです。プライドが高く美しい藤尾か古風で物静かな小夜子か、2人の間で揺れる小野の心。貧しいのが嫌で小夜子との縁談を断り、藤尾を選ぼうとしたり、かと思えば自分の意見を翻す様子は現代のドラマにもありそうな感じでした。小野の行動が藤尾を悲劇に貶めるのは、時代から見ると勧善懲悪ですが、小野が糾弾されてもおかしくはないと思います。ただ、漱石の理想とする道義が込められた作品と言えるでしょう。2015/10/13
のっち♬
148
我の弱い小野は虚栄と美貌で男を弄ぶ藤尾と結婚を約束した小夜子との間で揺れる。俳句的発想や諺、庶民言葉など文語体と口語体の自在な融合で魅せる濃密な文章。ドラマチックな偶然や場面変化が親兄妹を巻き込んだ私欲の交錯と苦々しい因果の帰結を劇的に結びつけていて、概念的な人物造形やリズミカルな文体も戯曲的効果に昇華されている。美意識と傲慢が迸った嫌味や中盤以降の加速も流石。道徳劇的アプローチで咀嚼し切れない世間体に構わない自発的な生き方や近代小説に背を向けた作風には職業作家として歩み出した著者の気骨と意欲が伺われる。2022/09/15
33 kouch
108
流暢で絢爛な文章。大正浪漫のインテリ層の会話、袴姿の清楚で快活な女性達の会話がとてもよい。「君ね…西洋に行くと人間を2つ持っていないといけない…無作法な裏と綺麗な表…」「あの娘はまるで鉄砲玉で…」「よくってよ知らないわ」「後生だから…」。漱石の文は難くなく場面が容易に目に浮かぶ。そこが庶民派として親しまれる所以。本書は職業作家になって初の作品。確かに後半の作品に似たようなタイプの人物はよく出てくる。利己主義のテーマにうってつけの藤尾はキャラとしても光る。虞美人が愚美人に思える嫌な人物描写は素晴しい。2023/05/14
Gotoran
105
大学講師を投げうって朝日新聞に入社、職業作家として初めて著した新聞連載小説。美しく才気溢れるも虚栄心強く近代的な女性藤尾。その兄で哲学者の甲野(欽吾)。外交官志望の宗近(一)。その妹糸子。大学卒業時銀時計を貰ったほどの秀才小野(主人公)。小野の恩師(井上)弧堂。その娘、か弱き古風な小夜子。小野を中心にした人間(恋愛)模様が描かれる。藤尾に翻弄される小野の優柔不断さ、勝気でハイカラな藤尾と気弱で古風な小夜子の間で揺れ動く小野・・当時の文明批判も含め、和・漢・洋すべてに造詣が深い漱石の流麗な美文を堪能した。2014/11/16