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  • サイズ B6判/ページ数 213p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784087734300
  • NDC分類 923.7
  • Cコード C0097

内容説明

お母さん、僕を許してくれますか?すべての母のある子は涙する、哀切極まりない表題作他、作家初期から亡命までの8編。ノーベル賞作家の自選短編集。

著者等紹介

高行健[ガオシンジェン]
小説家・劇作家・画家。1940年、中国江西省生まれ。62年、北京外国語学院フランス語科卒業。文革中は山村で5年余りを過ごす。70年代末、モダニズム小説の作家として登場。のち演劇の分野に進出、脚光を浴びるが、不条理劇『バス停』(83年)で激しい批判にさらされた。その後、絵画に活路を見いだし、85年からヨーロッパ各地で個展が実現。87年末出国、翌年からパリに逗留。89年、パリで天安門事件を知り、『逃亡』(90年)を執筆、祖国を捨て、政治亡命者となる。以降、中国では全作品が発禁。97年、フランス国籍を取得。『霊山』(90年)、『ある男の聖書』(99年)を中心とした文学活動で2000年度ノーベル文学賞受賞
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

藤月はな(灯れ松明の火)

71
河出書房新社の池澤夏樹編纂の世界文学全集から知った高行健。よって「母」は既読。男女二人の会話で男女の分かり合えなさを綴る「公園にて」は女の主張に頷くことし切り。ある一つの交通事故からいくつもの可能性や噂と事実に広がっていく誤差、それでも人の営みになんら影響を与えることは微々たるものと突きつける「交通事故」の静謐さが印象的。そして「花豆」の圧倒的なまでの抒情の瑞々しさと世代間の隔たりによる孤独感、有り得たかもしれない過去を思慕する心に項垂れるしかない。2017/05/29

まこみや

48
「おじいさんに…」は三つのプロットが複雑に交叉する。〈都会で妻子と暮らす現在の生活〉、〈40年前おじいさんと暮らした故郷への郷愁〉、〈今ラジオで聞いているW杯の経過〉。表現としては実験的だが、意識的には誰もがごく普通にやっていることである。ここには結局「現在」の時間しかない。過去とは現在の記憶であり、未来とは現在の予想にすぎない。この短篇集の作品はどれも時系列に沿ったストーリーの進行を否定して、現在の主観的意識を克明に描写する。あたかも、中国語が元来時制のない言語であることにどこかで通じるのかもしれない。2024/03/09

うぉ

15
初の中国文学。霊山を読もうと思ったがすぐ手に入らないので、すぐ手に入ったこちらから読む。短編集。母と花豆が特に良かった。自分が訪ねたときに感じた中国という国家の哀愁を、優しく爽やかに言語化してくれた。霊山、ある男の聖書への期待度アップ。2019/09/02

S.Mori

12
2000年にノーベル文学賞を受賞した高行健の短篇集です。「母」のような叙情的な作品から実験的な「瞬間」、切なさが胸を打つ「花豆」など多彩な内容で読み応えがあります。私が一番好きなのは最後に置かれた「花豆」です。「結ばれなかった女へ」という副題から分かるように、この小説の中では初恋の女性に対する切々した想いが書かれています。少女時代の彼女の輝くような美しさを描写する高行健の筆は、情感にあふれて美しいです。そんな彼女が夫の自殺によってやつれた姿になるのは痛々しいというしかありません。→2019/11/27

きゅー

8
台湾で出版された彼の短編集が元となっている。特に気になったのは、タイトルにもとられている「母」。ここで彼の母の思い出が切々と綴られているが、彼はこの作品を書いたことで、自分の中の”母”と決着をつけたのではないかと思わされるほどの鬼気迫るものを感じた。母への愛、後悔の念、自己嫌悪そうしたものがるつぼの中で煮立っている。特に自分自身への焼けつくような憎しみ。これが彼を彼たらしめる原動力であり、彼が作品を書く源であるかのように思われる。彼の長編とは違い濃縮された作品群。2013/01/22

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