内容説明
ヴェルデュラン夫人が、連日のように晩餐会を開いている(第四篇2第2章・続)。語り手は運転手つきの自動車をやとって、アルベルチーヌとバルベック効外を散策する。一方、シャルリュスは、ヴァイオリニストのモレルに会うために、ヴェルデュラン夫妻のサロンの常連になっている(第四篇2第3章)。アルベルチーヌの同性愛への疑惑と嫉妬。彼女を隔離しなければならない。語り手は母親に、アルベルチーヌとの結婚を告げる(第四篇2第四章)。
著者等紹介
プルースト,マルセル[プルースト,マルセル][Proust,Marcel]
1871.7.10‐1922.11.18。フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
108
時代は動いているようだ。これまで社交界の華であったゲルマント公爵夫人が凋落した訳ではないが、少なくてもバルベックでは、ブルジョワ階級のヴェルデュラン夫人が台頭してきた。シャルリュス氏までが頻繁に出入りするほどに。もっとも、このシャルリュス氏の行動の裏には宿痾ともいうべき性癖がある故なのだが。また、成りあがりのヴェルデュラン夫妻にはカンプルメール侯爵とシャルリュス男爵(兼ブラバン公爵、オレロン大公…)との序列さえわからない。いずれは、そうしたことも意味を為さなくなり、物語は大きな転換点を迎えようとしている。2013/12/16
ケイ
94
「スワンの恋」を読んでいた頃と違い、読んでいても顔をしかめるようなことが多い。社交界の虚飾の中にあっても、スワン氏は虚栄からは遠いところにいて、控えめにこっそりと自分の人脈を使って相手を喜ばすことを知っていたが、中盤以降はそのような人が描写されることがない。知ったかぶり、高慢ちき、排他主義、微笑みながら吐かれる毒。誰かのよい面に光を当てられることがないので、うんざりしてしまうのだ。アルベルチーヌに対する語り手の気持ちの変化には首をかしげてしまうが、シャルリュス氏の恋とあがきが読んでいてつらい。2015/11/09
s-kozy
70
集英社文庫版の第8巻は第四篇「ソドムとゴモラ」のIIです。ここで繰り広げられるのは小サークルの中で延々と続き、繰り返されるような夜会。そこにあるのは貴族とブルジョワの主導権争い。大言壮語と明らかに下にある者への蔑み、いない者への悪口。「お前らえー加減にせえよ」と辟易とさせられる。語り手は嫉妬心が行動原理のようになってしまい、最後に大きな決心をしてしまう。さあ、ここから終盤戦が始まるのかな?2017/06/13
夜間飛行
64
ブリショの語る地名学の蘊蓄には辟易するけれど、こういう所こそ、ある意味作品の深層部ではなかろうか。スノビズム・機械的礼節・癖・誤用・嘘八百などこの物語は大量の死にかけた言葉を蔵している。そしていま目の前にある言葉はみな何かの死を包んでいるという実感を基調に、どの言葉も奇妙な形で別の生を引き受けていくのだ。例えばブリショは化石化した地名に自己顕示という血液を流し込む。言葉の再生装置はまた、シャルリュスが性的嗜好ゆえモレルに引き回されるという階級の再生装置とも連動し、生まれ変わりの巨大な渦を成しているようだ。2016/01/11
たーぼー
49
アルベルチーヌにはゴモラ的側面や『そばを離れない』と言った瞬間に『ちょっと○○まで行ってくる』と言い出す等、首をかしげる多面的言動がある印象に変わりはない。だが自らには偽りを演じない一本筋の通った女性にも思えてくる不思議。だからこそ語り手の嫉妬と疑惑が最高潮に達した時、彼女をガラスケースに閉じ込めておく想いが必要だった。これはどちらかの欠陥ではなく相互に苦悶している、と捉えたい。それにしても教会の前で麦藁帽子で絵を描くアルベルチーヌは美しい。語り手と最初に出逢ったときの自転車でフッと現れた彼女を思い出した2015/10/18
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