内容説明
煉獄山は、エルサレムと対蹠点の南半球の海上にある。日曜日(4月10日)、愛の根元である金星が東の空を輝かせる頃、煉獄山絶壁の水際にたどり着いたウェルギリウスとダンテは、高慢の罪が浄められる第一冠から、邪淫の罪が浄められる第七冠までを登り詰めるが、最後の地上楽園でウェルギリウスの姿が消え、ベアトリーチェが現れる。人間の理性を以てしては天国へ昇れないからである。
著者等紹介
アリギエーリ,ダンテ[アリギエーリ,ダンテ][Alighieri,Dante]
1265‐1321。イタリアの詩人。フィレンツェに生まれる。百科事典的な知識の集成を物語に織りこんだ不滅の古典『神曲』を著して、ヨーロッパ中世の文学、哲学、神学、および諸科学の伝統を総括し、またルネサンスの先駆けとなった。フィレンツェの市政にも深くかかわったが、1302年、政変により永久追放の宣告を受ける。以後、放浪のうちに執筆を続け、ラヴェンナで没した
寿岳文章[ジュガクブンショウ]
1900~1992。神戸市生まれ。京都帝大卒。英文学者、書誌学者、和紙研究家。龍谷大学、関西学院大学、甲南大学の教授を歴任。『神曲』訳により、1976年読売文学賞受賞
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感想・レビュー
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優希
98
『神曲』第2巻になります。ウェルギリウスに導かれ、地獄から煉獄へと足を踏み入れたダンテ。高慢から邪婬の7つの罪の山を登り詰める様子にはかすかな希望の光すら見えました。それは1つ1つの罪が浄められていくから他ないでしょう。天国と地獄の間にある煉獄という世界。その最後の楽園でウェルギリウスが姿を消し、ベアトリーチェが姿を現わすのは、人間の理性では裁けない行き先へと向かう象徴のように思えました。やっと見えた入り口から、どのような世界に移るのか。天国篇も読みます。2017/08/07
優希
58
地獄から煉獄へ足を踏み入れたダンテ。ヴェルフィリウスに導かれながら、高慢から邪婬の罪が浄められる七冠まで登り詰めていく様子には微かな救いが見えました。1つ1つの罪が浄められていくのですから、希望の光が見えたのでしょうね。地獄と天国の狭間にある楽園でヴェルギリウスの姿が消え、ベアトリーチェが現れるのは、人間の理性では行けない世界へと足を踏み入れる布石でしょうね。微かに見え始めた入り口から広がる世界はどのような世界なのでしょう。2020/10/09
syaori
46
本篇の舞台は煉獄山。嘆きと慟哭に満ちていた地獄に対し、煉獄山を覆うのは静謐な祈りの言葉。この山で浄罪に臨む亡者たちに課せられる行も地獄に劣らず苛酷ですが、天使や神の庇護も感じられ、亡者たちの話やウェルギリウスの導きによりその神の愛について理解が深まるに従い自分の罪も浄化されてゆくよう。また提示される罪や善行の例には聖書のほかギリシア神話等も登場し、古典古代の再評価や新しい価値観が生まれるなかで、本書にはその位置付けを示す「百科全書」としての役割も確かにあったのだなと感じます。ベアトリーチェ登場で次巻へ!!2018/05/23
金吾
25
○七つの大罪を聞く度に我が身を振り返りゾッとします。しかしダンテが一つ一つ罪が浄められていく過程を読みながら希望を見出だす事が出来ていくように感じました。地獄と煉獄の違いを考えさせられます。2022/03/07
ヴェルナーの日記
15
地獄を抜けたダンテと、その師ヴィルジリオは、煉獄へ進む。煉獄はキリスト教徒でありながら、教えを守らずに死んでいった者たちが逝くところ。生前に犯した罪を償うことにより天国へと登ることができる。煉獄は第7階層まであり、下から順にダンテはヴィルジリオの導きによって地上の楽園へと目指す。挿絵には、ウィリアム・ブレークの絵が使われているが、ブレーク自身、ダンテの『新曲』で語られる、あの世観とは違った立場を取っていて、挿絵の其処彼処に彼の独自の解釈で画いている。それは、時を距てた2人の巨匠が論議しているようだ。2014/09/25