講談社学術文庫<br> 日本語と事務革命

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講談社学術文庫
日本語と事務革命

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  • サイズ 文庫判/ページ数 261p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062923385
  • NDC分類 810.4
  • Cコード C0181

出版社内容情報

かつて日本語を「機械にのせる」ことは一大事であった。ワープロの出現以降、すべては解決したのか? 日本語と情報を考える基本書。梅棹忠夫は、1960年代初期から最晩年まで、半世紀ちかくにわたって「知的生産の技術と情報処理、そして日本語」について考えつづけていました。また、ローマ字論者、カナモジ論者としても知られました。彼は言います。
「問題は、日本語をどのようにして機械にのせるかであった。今日、OAすなわちオフィス・オートメーションがすすみ、各種の事務機械が大量に導入されている。日本語の機械化についても、ワープロの出現によって事態はおおきくかわった。しかし、じっさいは問題のかなりの部分は先おくりされているだけで、本質的にはなんにも解決されていないのだ。実務のながれと日本語の関係などについては、ほとんどかんがえてみたこともないというひともおおい。技術方面の人たちも、言語のことはあまり気にしていないように見うけられる。しかし、これは大問題なのである」
音読みと訓読みの混在、正書法の不在……。かつては「悪魔の言語」とまで呼ばれてきた日本語のこうした諸問題もいまや変換キーさえ押せばすべては解決するように思えます。また、漢字仮名交じり文という世界にも類を見ない表記法の効用を説く人も多い。
しかし、梅棹の説くとおり、すべては先送りにされただけです。ひょっとしたら20世紀末の技術の発展は、21世紀において日本語をよりローカルな言語へと押しこめてしまったかもしれないのです。日本の人口がますます減り、経済力も萎んでいったならば、そして日本語を学ぼうとする人びとの数が増えなかったらどうなってしまうのでしょうか。いまなお梅棹の警告が生きているゆえんです。

本書は数ある梅棹の「日本語と情報」に関する著作の中心に位置するものです。多くの読者の考えるきっかけになることを期待して文庫化いたします。

まえがき
事務革命
文書革命の現実と将来
カナモジ・タイプライターは実用になるか
カナかなタイプライター始末記
ワード・プロセッサーは知的生産のあたらしい道具になりうるか
ワープロのもたらしたもの──事務革命はおわったか


梅棹 忠夫[ウメサオ タダオ]
著・文・その他

内容説明

梅棹忠夫は言う。「日本語の機械化についても、ワープロの出現によって事態はおおきくかわった。しかし、じっさいは問題のかなりの部分は先おくりされているだけで、本質的にはなんにも解決されていないのだ」。日本語はグローバルな言語たりうるか?“知的生産の技術と情報処理”をめぐる、いまなお色あせぬ刺激的論考。

目次

事務革命
文書革命の現実と将来
カナモジ・タイプライターは実用になるか
カナかなタイプライター始末記
ワード・プロセッサーは知的生産のあたらしい道具になりうるか
ワープロのもたらしたもの―事務革命はおわったか

著者等紹介

梅棹忠夫[ウメサオタダオ]
1920年、京都に生まれる。京都帝国大学理学部卒業。理学博士。1955年京大カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊に参加。京都大学教授。国立民族学博物館の創設に尽力し、初代館長となる。1994年文化勲章受章。2010年、90歳で死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かりん

2
4:《古さの奥にある日本語への危機感。》久々の梅棹本。これまでウメサオの日本語論にはあまり興味が湧かず積読していたのだが、改めて読み進めるうちに面白くなった。手書き→タイプライター→ワープロという時代の話なので古さはあるが、危機感を持っていた理由がじわじわしみてくる。現在の「ローマ字入力→漢字かな混じりに変換」という文書の作り方が少なからず日本人の生産性に影響を与えているのだろうか。昔かな入力を推進するカツマー系の意見をスルーしていたが、なるほど意味があったのだな。京極さんの別視点の解説も面白い。U2018/02/07

ねぎとろ

1
今更こんな本読んでも、と思ったら意外と面白かった。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字をどうやってタイプライターに落とし込むかの技術史であり、問題意識としては高島 俊男『漢字と日本人』とも共通していると感じた。本文にあるように表面的にはワープロによって問題は解決したのだが、問題は棚上げにされたままともいえる。解説で京極夏彦が言うようにそんなに心配しなくてもいいのかもしれないが、現状の日本の文字文化をちょっと別の角度から見るために、少し前にこんな議論や試行錯誤があったことは知られてもいいだろうと思う。2023/04/23

kenitirokikuti

1
解説は京極夏彦。姑獲鳥は職場にあったキヤノワードで執筆。のちポータブル機を購入した。アドビのインデザインが出てからはそちらへ移行。▲原著の刊行は1988.6。1982年ごろから梅棹は事務用機械として和文タイプライターにとってかわったワープロを個人で原稿づくりに用いはじめた。キヤノワード60。2015/12/27

邪馬台国

0
パソコンのタイピングですら過ぎ去り、若者の間ではフリック入力が全盛の現代で、書き文字から打ち文字へと変わっていく歴史は知っておいて損はないと思う。タイプライターと、かな混じりの日本語との相性の悪さや、手書きによる美文字へのコンプレックスなど、地味ではあるが文字入力の歴史は日本の文化に大きく影響を与えているのがわかる。解説まで読むと、漢字という存在にまで懐疑的になる。文字文化を考える上で読んでおきたい一冊。2016/04/15

siomin

0
日本語のタイプライターやワープロが事務作業にどのように受容されたことから,日本語の在り方や表現方法はどうあるべきかを問うた一冊。漢字のせいでタイプライターの普及が遅れ事務作業の効率化が遅れた,それに対処するためにローマ字化やカナモジの普及を推進する人々を追っていたり,梅棹自身が和文タイプライターの開発に携わったり,様々な話題があります。今となってはパソコンで漢字交じりで普通に文書作成できるので隔世の感はありますが,過渡期にはこういった葛藤があったのかと知れます。2022/06/29

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