講談社+α文庫<br> 貧乏大名“やりくり”物語―たった五千石!名門・喜連川藩の奮闘

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講談社+α文庫
貧乏大名“やりくり”物語―たった五千石!名門・喜連川藩の奮闘

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  • サイズ 文庫判/ページ数 192p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062816878
  • NDC分類 213.2
  • Cコード C0121

出版社内容情報

家柄は抜群、百万石並の高待遇。でも、石高はたった五千石、藩財政は火の車。そんな弱小藩が明治まで生きのびた! 汗と涙の物語足利将軍家末裔にして、名目上は徳川将軍の臣下ではなく客分。しかし、家柄は高くても、石高は泣いても笑っても、たった五千石。大大名ですら経営苦にあえいだ江戸時代、喜連川藩の財政は火の車だった。それでも、領地を愛し、領民を慈しみ(増税はするけれど)、誇り高き代々の当主「御所様」は、あの手この手で金を稼ぎ、藩を明治まで長らえさせた。涙ぐましきその奮闘ぶりを見よ!

山下 昌也[ヤマシタ マサヤ]
著・文・その他

内容説明

足利将軍家末裔にして、名目上は徳川将軍の臣下ではなく客分。でも、家柄は高くても、石高は泣いても笑っても、たった五千石…。大大名ですら経営苦にあえいでいた江戸時代、喜連川藩の財政はいつも火の車だった。それでも、領地を愛し、領民を慈しみ(増税はするけれど)、誇り高き代々の当主「御所さま」は、おの手この手で金を稼ぎ、藩を見事明治まで長らえさせた。その汗と涙の“やりくり”奮闘記!

目次

第1章 百万石から一万石まで、大名家のやりくり算段(大大名の貧乏暮らし;奮闘する小大名)
第2章 五千石でも十万石「格」大名、喜連川氏の正体(百万石と張り合う五千石;喜連川藩を成立させた「美貌の城主夫人」;だから、「御所さま」)
第3章 御所さまのやりくり算段(宿場が基幹産業;御所さまのやりくり;加増の機会が来た!;御所さまの共産主義;領民の暮らしと宿場を守る御所さま;全ては領民のために;頼みは養子の持参金;嵐の中で)

著者等紹介

山下昌也[ヤマシタマサヤ]
高知県生まれ。中央大学商学部卒業。歴史ライター。史料を渉猟し、歴史に埋もれた人物や逸話に光を当てる読み物を多数発表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

HANA

51
下野国五千石にもかかわらず、御所様と呼ばれ幕府からも崇敬の念を受けていた喜連川藩。その成り立ちから終焉までを描いた一冊。読み始めていきなり小藩大藩の財政難やら、特産の開発やその失敗でいきなり悲しくなる。金が無いのは首が無いのと同じやね。で肝心の喜連川藩だが本陣株の売買とか酒の専売だとか、それ相応の事はしているようなもののどうも表紙に見えるような「やりくり」とかとは程遠いように思える。藩の成立とか維新直前のドタバタとかが面白いせいかなあ。ともあれ知らなかった関東の小藩。各地に歴史ありと思い知らされました。2016/10/08

文章で飯を食う

19
一万石から大名なのに、わずか五千石で御所様と呼ばれる、破格の大名。足利将軍家の血を引くため、名門好きの秀吉、家康から一目置かれる。江戸時代に唯一、徳川家の子分では無く、客分。そのため、参勤交代などの諸役は免除。家格は十万石相当だから面白い。諸役は免除と言っても持ち物は十万石並みの物だから、出費は多い。基幹産業は宿場からの上がりと言うのも面白い。十代熙氏は情に厚い殿様で、領内を回って領民の年寄りや貧窮者、孝行者等に金や服や穀物などを与えた。熙氏の行列が館に帰る頃には、御所様を拝もうという民で溢れたという。2017/05/25

なにょう

14
喜連川は少年院のあるところ。関東平野の端っこ、良き日本の片田舎である。なんとこんな小さな場所に5,000石ながら大名として優遇されていた喜連川藩があった。古河公方の子孫、足利将軍の血を伝える名族だったというではありませんか!★案の定、藩政はたやすからず、幕末に煕氏という名君が出たものの。家来の家格を明確に差別化して藩政強化を試みたり、藩校を作ったものの授業内容はいささか古めしかったり。涙ぐましい藩の経営努力が窺われる。★星の数ほど藩があって、それぞれ色んな経営努力があったんだろうな。2022/07/03

スプリント

12
1万石が大名の最低ラインと思っていましたが、名門はそれ以下でも大名格でいられたんですね。知る人ぞ知る地名、喜連川の藩主の生き残り奮闘記です。2018/08/27

キャベ

10
1万石以上が大名とされる中で、わずか5千石で大名扱いされた藩があった。しかも幕府から10万石の大名の扱いを受け、幕府の「臣下」ではなく「客分」とされていた大名。 なかなか興味深い出だしですが、殿様は足利将軍家の末裔であるとのことで、なるほどそれは別格扱いにもなりますよね。 本の表紙には「手段を選ばぬ金儲け」と書かれているけど、実際は新田開発とか倹約とかみたいに、よその藩もやってることが多かったです。ただ、殿様が領民のために善政を敷いていたから「とても慕われていた」、というのが実情だったようです。2017/03/17

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