出版社内容情報
僕たちの終章はピンボールで始まった
雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎える
さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。
村上 春樹[ムラカミ ハルキ]
著・文・その他
内容説明
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
619
登場人物同士の関係性がきわめて希薄な物語だった。「僕」と「鼠」とが、ほぼ交互に描かれるが、ほんのわずかな回想シーンで時間を共有するだけで、それ以外には全く交点を持っていない。また、「僕」が一緒に暮らしていた双子には名前がないし、208,209などと記号化してしまっている。「鼠」の相手にもやはり名前はなく、単に「彼女」と呼ばれるだけだ。表題にもとられたピンボールの無機質感や空虚感もあいまって、物語全体を一種のニヒリズムが覆うかのようだ。2012/06/04
zero1
303
すべては過ぎ去る。貯水池の配電盤や双子の姉妹。入り口と出口。それでもスペイン語講師のようにピンボールに執着する人たちがいる。メカニカルなピンボールには、今のゲームにはない味がある。TILT(揺らすと機械が止まる反則)がその代表。鼠は街を出るが、その後は「羊をめぐる冒険」で分かる。何度目かの再読だが、この作品が芥川賞を落選するのは妥当な判断。散漫だし、多くの選考委員から賞賛を得られる作品ではない。だが、委員たちが求めるものがなかったからと言って価値がないわけではない。小説とはそういうものだ。2018/11/05
tokko
262
短い挿話がいくつも重ねられて一つの物語へと導かれていく。まるで実験的な映画を観ているような雰囲気に引き込まれた。「配電盤」の死、「スペースシップ」との再会、「双子の姉妹」との別れ…。「僕」にとって「スペースシップ」との邂逅は、次のステップへ進むための手続きなのか。2011/07/03
抹茶モナカ
229
久し振りの再読。1人称の僕パートと3人称の鼠パートで構成されている。鼠パートの3人称はあまり良くなくて、その3人称の文章を鍛えるのが、村上春樹の作家道だったので、感慨深い稚拙さでもある。ピンボールに仮託した冥界を巡り、青春を分かち合った女性と再会する物語、と、読めた。その構図は「ノルウェイの森」に通ずるようにも思う。双子と暮らし、コーヒーを淹れ、ベッドでカントを読む僕。ジェイズ・バーに通い、女の事をい、街を離れる事を思う鼠。交互ではないけれど、2つの情景で1つの作品にするのも、以降の作品に通ずる気がした。2018/09/18
夢追人009
225
村上春樹氏の初期3部作の2冊目。冒頭に金星生まれと土星生まれが出て来るのは前作の架空作家と併せてこの物語がパラレル・ワールド(並行世界)の話だからなのでしょうね。白い大きな犬・アビシニア猫の動物達、208と209の双子姉妹は僕にとってそれぞれに愛する直子の死の悲しみを乗り越えさせる癒しになったでしょう。鼠は我慢せずに彼女の家に行ったらもう少し長続きしたかも知れませんが所詮は時間の問題だったでしょうね。僕と3フリッパーのスペースシップ、鼠とジェイ、僕と双子の別れ。月並みですが「さよならだけが人生だ」ですね。2018/10/03