講談社文庫
秘話 陸軍登戸研究所の青春

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  • サイズ 文庫判/ページ数 289p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062738200
  • NDC分類 916
  • Cコード C0195

内容説明

ラジオをいじるのが大好きな科学少年は、京都帝国大学に進み、敗戦直前、東京にある“秘密研究所”に派遣される。そこでは「殺人光線」を研究すると聞いていた。だが実際に目にしたものは空襲で焼け野原と化した東京の無惨な姿だった―。太平洋戦争の実態を融通無碍な筆致で綴る異色体験記。

目次

第1章 登戸研究所の思い出(昭和二十年四月~八月)
第2章 迫り来る戦争の足音(昭和十四年~昭和十六年)
第3章 戦火の中で(昭和十七年~昭和二十年)
第4章 焦土からの復活戦(昭和二十年~昭和二十二年)
第5章 戦後の復興期を生きて(昭和二十三年~昭和二十六年)
第6章 高度成長期を駆け抜ける(昭和二十七年~平成六年)
おわりに 長い時の経過が教えるもの

著者等紹介

新多昭二[シンタショウジ]
1927年広島県生まれ。45年京都帝国大学工学部・戦時科学研究養成機関を卒業。陸軍登戸研究所勤務後、京都帝大工学部電気工学教室勤務。47年京都高等無線技術学校設立。60年有限会社東京エレクトロニクス研究所設立。79年北陸電気工業電算室長に。現在は、高齢者や会社役員対象にIT普及のためのコンピュータ教育機関ELSY Networkを設立
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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AICHAN

45
図書館本。京大に進学した著者は、敗戦直前、東京にある「陸軍秘密研究所」に派遣される。そこは風船爆弾や殺人光線、毒薬、細菌兵器、紙幣偽造等の研究をする、いわゆる登戸研究所だった。著者がそこに勤務して間もなく、ハワイの短波放送を受信し、米国が原子兵器を開発したことを知る。米国はそれで日本を脅したが日本は黙殺し、その結果、広島と長崎に原爆が落とされた。東京大空襲に見舞われ秘密研究員たちは疎開を始め、研究所はろくな成果も上げられず敗戦を迎える。戦争の足音が高まるころから平成までの波乱の人生を綴る。2020/02/24

Ted

5
'04年2月刊。○合格率8.3%の戦時研究要員を経て、登戸研究所(第九技研)第4課で新兵器の実用化に従事した技術者の回想記。731部隊と絡むのは第2課だが、内部事情には通じているようだ。しかし「あってはならない事実があった」とのみ記すだけである。ヒトラー亡命計画、原爆投下予告放送、碧素(ペニシリン)開発、近接信管、敗戦後を見越しての英語教育、帝銀事件の真犯人(731部隊のS中佐とは何者?)など、初めて知ること多数。著者はもう故人かもしれない。下の名前は恐らく昭和2年生まれから来ているのだろう。 2021/10/31

しびぞう

4
全日本人必読の書だと思った。相当重い内容なのだが、あっさりとした語り口と適度に散りばめられた筆者のさりげない自慢話(失礼ながら褒め言葉)がそれを和らげる。第二次世界大戦と現代がシームレスに繋がっている様がよくわかるとともに驚いてしまった。2017/08/22

後ろのお兄さん

1
殺人光線や遅効性の青酸化合物など、秘密兵器の研究をしていた研究所がかつて登戸にあった。 ひょんなことからその研究所に行くことになった電気技術者の回顧録。2015/12/21

ひろ

1
風船爆弾の研究所だった登戸研究所を訪れたことがある。今は明治大学生田キャンパスの一画にちんまりと残る。そう言えば、そこで働く人たちの思いを省みることがなかった。戦中戦後を生きた一人のエンジニアによる戦争の総括と言えるだろう。日本再生のために必要だった大いなる痛み、という感じか。2014/10/31

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