内容説明
私の見た「昭和二十年」の記録である。満二十三歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ(「まえがき」より)―激動の一年の体験と心情を克明に記録した真実の日記。
著者等紹介
山田風太郎[ヤマダフウタロウ]
1922年、兵庫県生まれ。東京医科大在学中の’47年、探偵小説誌「宝石」の第1回懸賞募集に「達磨峠の事件」が入選。’49年に「眼中の悪魔」「虚像淫楽」の2篇で日本探偵作家クラブ賞を受賞。’58年から始めた「忍法帖」シリーズでは『甲賀忍法帖』『魔界転生』等の作品があり、奔放な空想力と緻密な構成力が見事に融合し、爆発的なブームを呼んだ。その後、『警視庁草紙』等の明治もの、『室町お伽草紙』等の室町ものを発表。2001年7月28日、逝去。享年79
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感想・レビュー
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i-miya
55
2013.12.25(12/25)(再読)山田風太郎著。 12/24 (あとがき) この日記の出版が決まったとき(S46、番町書房刊)、私が心配したのは、無用の記述多すぎるのではないか? しかし、この愚かな全文をあえて収録してくれた出版社方針に感謝をもって従うことにした。 当時としてはその必然性があったのだ。 この昭和20年のショック。 しかし、人は変わらない、そしておそらく人間の引き起こすことも・・・(S48.02)。 2013/12/25
i-miya
50
2014.02.05(01/25)(つづき)山田風太郎著。 02/03 (解説=橋本治、つづき) 山田風太郎はT11.01.04生まれ。 24歳は数え年。 父はS02,風太郎5歳の死。 母は父の弟と再結婚。 母は中一→中二の春死亡→孤児(みなしご)。 本文中帰郷とは、叔父の家=自分の家に帰ることを指す。 『戦中派虫けら日記』には、「母に死なれた、やけくそになった、中学五年停学」 中学五年は今の高二である。 勉強ちゃらんぽらん、体格ひょろり、親戚回り持ちで養われる身分。 2014/02/05
i-miya
42
2011.05.28 ◎(まえがき) 私の見たS20の記録、この一年、凄まじい180度転回。 私は通行人。 23歳の医学生。 私のこんなもの、加える値打ち?意味? 一般民衆側の記録。 少ない、意外と。 嘘や、法螺や、口ぬぐい。 終戦直後のものが腹を立てて書いているだけに反って真実の息吹。 明日のこともわからぬ、哀れな、絶望的な、そのくせたちまち希望を取り戻して生きていく日本人の姿。2011/05/28
James Hayashi
34
当時医学生であった著者の1年間の日記。本人は戦争から逃げていたわけではなく、体格不適格により断念した模様。兵庫より上京、後の東京医科大学に通う。ほぼ毎日各地に空襲がある。著者が見たものと新聞やラジオから得た情報もあるだろう。これだけ空襲がありながら、迎え撃つ戦闘機はいかほどあったのであろう。著者も当時に軍部が出す情報にエセがあると見破っている。軍幹部はこの被災状況を見ながら1億総玉砕を謳っているなら、気狂いか馬鹿でしかない。著者は物資のない戦中にありながら毎日のように読書を欠かしていない。続く→2019/01/05
踊る猫
33
ページを繰る手が止まらなかった。もちろん私たちは太平洋戦争の全容をいつでも知られる立場に居るが、その戦争の最中にあってヒトラーを「巨星」と崇拝し、日本は必ず勝たなければならないと信じ込んでいたひとりのインテリの姿がここにある。彼の抱えるその焦燥が手にとるように感じられる……だがここで書かれている焦燥を他人事と嗤える人がどれくらい居るだろう。このコロナ禍の中で読むと相変わらず根性論しかすがるところがない人たちの愚かしさぶり、読書を意地でも続ける主人公の勤勉さを「今・ここ」の私の問題として共有したくなってくる2020/12/31