講談社選書メチエ<br> 言葉の魂の哲学

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講談社選書メチエ
言葉の魂の哲学

  • 古田 徹也【著】
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  • サイズ B6判/ページ数 256p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062586764
  • NDC分類 801.01
  • Cコード C0310

出版社内容情報

中島敦の小説やウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論に分け入り、「生きた言葉」とはなにかを明らかにする新しい哲学!言葉が表情を失うことがある。たとえば、「今」という字をじっと見つめ続けたり、あるいは、「今、今、今、今、今、今・・・」と延々書き続けたりすると、なじみのあるはずの言葉が突然、たんなる線の寄せ集めに見えてくる。一般に、「ゲシュタルト崩壊」といわれる現象だ。
逆に、言葉が魂が入ったように表情を宿し、胸を打つようになることがある。こういう現象を、どうとらえたらいいのだろうか。魂のある言葉とは、どのようなものか。

本書は、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説からはじまる。いずれも、「ゲシュタルト崩壊」をあつかった作品である。
ついで、ウィトゲンシュタインの言語論を検証する。かれが「魂なき言語と魂ある言語」といったとき、どのような哲学が展開されるか。
そして、最後に、カール・クラウスの言語論を考える。
生涯をかけて、言語批判をつらぬいたクラウスの思想とは、どのようなものだったか。
それは、「常套句に抗する」ことで、世の中をかえようとする試みでもあった。
以上の三つの核によりそいながら、「命ある言葉」とはなにかを哲学する力作。

第1章 ヴェールとしての言葉――言語不信の諸相
  1.中島敦「文字禍」とその周辺
  2.ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺
第2章 魂あるものとしての言葉――ウィトゲンシュタインの言語論を中心に
  1.使用・体験・理解
  2.言葉の立体的理解
  3.「アスペクト盲」の人は何を失うのか
第3章 かたち成すものとしての言葉――カール・クラウスの言語論が示すもの
   1.クラウスによる言語「批判」
   2.言葉を選び取る責任


古田 徹也[フルタ テツヤ]
著・文・その他

内容説明

言葉が表情を失うことがある。たとえば、「今」という字をじっと見つめ続けていると、文字がたんなる線の寄せ集めに見えてくる。「ゲシュタルト崩壊」といわれる現象だ。本書は、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説からはじまる。いずれも「ゲシュタルト崩壊」を扱った作品だ。そのうえで、ウィトゲンシュタインの言語論を検証し、カール・クラウスの言語論を考える。「生きた言葉」「魂ある言葉」を考える清新な哲学―。

目次

第1章 ヴェールとしての言葉―言語不信の諸相(中島敦「文字禍」とその周辺;ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺;まとめと展望)
第2章 魂あるものとしての言葉―ウィトゲンシュタインの言語論を中心に(使用・体験・理解;言葉の立体的理解;「アスペクト盲」の人は何を失うのか;「言葉は生活の流れなかではじめて意味をもつ」)
第3章 かたち成すものとしての言葉―カール・クラウスの言語論が示すもの(クラウスによる言語「批判」;言葉を選び取る責任)

著者等紹介

古田徹也[フルタテツヤ]
1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。新潟大学准教授を経て、専修大学准教授。専攻は、哲学・倫理学。「言語」「心」「行為」を手がかりに研究を進める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

39
①ウィトゲンシュタインは、言葉の意味とはその言葉の使用のことであるという。しかし、②言葉には、使用したときにその言葉独自の感覚(魂)があるのではないか。後期のウィトゲンシュタインはこの相反した問題を考察し続けたと著者はいいます。①は、ウィトゲンシュタインの言語論的転回といわれる慧眼です。本書における2章の結論は、そうした感覚は、その言葉に内在する何らかの実態によって与えられているわけではない。むしろ、それを取り囲むそのつどの文脈こそが肝心なのであるということです。そして、エスペラント語を例にして、言葉は生2019/08/30

くまさん

27
すぐれた書き手の文体に表れるのは、パスカルのいうとおり著者というよりも人間である。言葉に生命がどのようにして宿り、また言葉がいかにして死ぬのか。考えている(いた)ことと、それをめぐる言葉が生まれることとのあいだにはどういう関係があるのか。ずっともとめていた本質的な問題にひとつの明晰な思考と言葉が与えられた。ウィトゲンシュタインとクラウスの言語論をふりかえり、自分でも考えつづけたい。2019/06/17

24
しっくりこない言葉への違和感をスルーせず、迷い続ける。これは一見、「わかりやすさ」を追求するより退屈だ。しかし、ユーモアや風刺を駆り"ニュースピーク"と対峙していると思えれば。もしかして、オーウェルの世界にいるようなスリルが味わえるかも。2022/01/30

原玉幸子

21
中島敦『文字禍』とサルトル『嘔吐』を読んでいて良かった~の面白い哲学論考です。言語学の根本が何たるかを説明する喩えが分かり易いので、「ほほぅ、ウィトゲンシュタインはそんなことを言っていたのか」と、理解が嬉しく素直に感動します。気持ち悪い何かから、言語(哲)学を考えさせる著者のアプローチに対し、「『シニフィエなきシニフィアン』との言い回しのシニフィエも、仏教の観照も、『人生は麻雀の一部である』の麻雀も、みーんな繋がっている一緒のモノ」と言いたい気がしました。(◎2022年・春)2022/03/19

buuupuuu

15
馴染み深い言葉は濃いニュアンスを伴っていて、容易には他の言葉に置き換えられない。言葉が喚起するイメージや感情や他の言葉たちがあって、それらは人々の生活の中で積み重ねられてきたものである。カール・クラウスは、言葉がこれまで用いられてきた文脈から外され、新たなニュアンスを得るような事態について言及している。そのような言葉は新たな生活形式を作り上げもするのだろう。反対に、新たな経験を述べるはずの言葉が既存の生活形式に呑み込まれ陳腐化していくようなことも考えられる。言葉は実践の中で試みられる必要がある。2022/11/11

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