野川

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  • サイズ A5判/ページ数 310p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784062123419
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

内容説明

すべて過ぎ去り、しかも留まる。戦後半世紀余の時空を往還し喧噪の彼方へ耳を澄ませば、幽明の境に死者たちはさざめき生者は永遠の相へ静まる。

著者等紹介

古井由吉[フルイヨシキチ]
1937年、東京生まれ。東大文学部独文科修士課程修了。1971年、「杳子」により芥川賞、1980年、『栖』により日本文学大賞、1983年、『槿』により谷崎潤一郎賞、1987年、「中山坂」により川端康成文学賞(単行本『眉雨』所収)、1990年、『仮往生伝試文』により読売文学賞、1997年、『白髪の唄』により毎日芸術賞を受賞
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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クリママ

47
16の小見出しが付いているが、机上に飾られた小さな埴輪の馬をモチーフに、季節とともに繰り返すように書きすすめられた一連の随想。たまに会って酒を飲む友人の死、また別の友人の大学時代の情事、戦時中のこと、1937年生まれの作者の、死後の世界と行き来するような心象風景が語られる。少しでも斜め読みすれば意味が取れなくなり、しっかり読んだとしてもやはり難しい。「男女の交わりこそその極致には、お互いに死後か、あるいは生まれる前になるか。」さらに高齢になって見当識を失ったシュミレーションのみが現実的な気がし怖く思った。2020/07/23

yumiha

39
古井由吉好きな同居人の本。いつなのか、どこなのか、生きているのか死んでいるのか、定かではない場面が続く。その場面が過去に繋がり、場所も変わる。それなのに妙にリアリティがあって、その光景が浮かぶのである。野川の土手を行く親子の姿など。「誰でもそれぞれの死後を今に生きている」という一文が心に残った。2021/05/28

踊る猫

29
死について考察を深め、時に死者の境地に足を踏み入れかねないほどギリギリのところまで行き着く。彼が記憶を総動員させて描く風景に、もちろん本書は小説であることを踏まえても「ありえたかもしれない日常」「死者の語り」という別のレイヤーの現実を見る思いがする。古井由吉を読むということは、ヴァーチャル・リアリティよろしくこちらの感覚を用いて死者の国を体感し、そこから帰ってくる行いの謂ではないだろうか。島田雅彦言う「陽気なリビングデッド」古井由吉が、とりわけ死に肉薄して描いた「旨い」日本語がここにある。読みやすいかも?2020/10/25

踊る猫

24
古井由吉を読んでいると心が落ち着く。この落ち着き方は、例えば宇宙や世界に対して書かれた書物を彷彿とさせる(私がそういった分野で読むのは哲学書や物理学の入門書程度なのだが)。それは多分に古井が照らす世界が世俗的なものを軽々と超えた崇高な次元に存在するからなのかもしれない。だがその一方でこの作者は世相を睨みつけているとも思われる。バブル景気から湾岸戦争へと時代は目まぐるしく変遷するが、その中にあって名もなき市井の人々がどのように深層で時代を受けとめ、その中で生き延びていたかを古井は描いているのだ。アクチュアル2022/03/27

踊る猫

23
死とはなんだろう。生きている人間は皆死なざるをえない。だがそれは終わりと同時に新たな始まりでもあり、あるいは生と死を丸ごとひとつの有機体の一本の流れとして(水が氷に変わっても、水を構成する要素は変わらないと解釈するように)捉えるべきなのかもしれない。この作家は生と死をそうやって丸ごと捉える眼を持っていた。だからこそここで語られる死者の言葉は生者のそれよりも生々しく、死んでなお(いやそれ以上に)生者と同じエロスを湛えた存在としてたち現れている。古井由吉のこの境地は自身が見舞われた様々な死との邂逅から来たのか2021/01/31

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