内容説明
戦後の批評は、はたして「戦争」の後の批評たりえただろうか。…「戦争」の前の批評たりえただろうか。従来の戦後という認識を、昭和中期・昭和後期として、新たな視点から批評史を分析。敗戦から高度成長期を経て戦後体制の終焉までの文学と思想の歴史を徹底的に検討。浅田彰、柄谷行人、蓮実重彦、三浦雅士による共同討議第二弾。1945年から1989年にわたる批評史略年表を付す。
目次
戦後批評ノート
討議 昭和批評の諸問題 1945‐1965
現代批評史ノート
討議 昭和批評の諸問題 1965‐1989
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
23
本書で扱う昭和中期から、我々お馴染みな文芸批評が議論されます。「現代日本の批評」の最後の部分が読み易かったように、情報量は増えて、4者が同じコンテクストを共有しているため議論は落着きます。後半の基調報告にあたる、浅田彰の短い文章は、非常に的確です。以前から、父性母性論を論ずることの奇妙さに疑問を持っていましたが、江藤淳『成熟と喪失』、吉本隆明『共同幻想論』を、個人アイデンティティの失効と、共同アイデンティティの模索という、68年当時のコンテクストに照らし合わせると説得的だという浅田の慧眼は見事です。つづく2018/04/29
しゅん
16
「批評」が文学批評を指した日本独自の傾向、「文学」を語ることが社会や哲学を語ることになってしまうというひねくれた状況。そうした状況を引き受けてきた四人の論客が戦後について語り合う(そしてこの四人の時代を最後に文学のヘゲモニーは失われていく)。戦後批評の甘ったるさや吉本隆明の世代がマルクスを疎外論として読んだことの痛烈な批判が印象的。当然といえば当然だが、マルクスの存在は日本の批評においてもとてつもない大きさを示していたのだな。蓮實が五月革命やオイルショックよりジョン・フォードの死が重要と言っていて笑った。2018/01/15
Z
9
戦後からバブル期までの人文知の検討。突出した、あるいは部分的に突出した人としては(否定的な評価も含めると)、中村光夫、三島由紀夫、吉本たかあき、大江健三郎、古井由吉、後藤明星、柄谷行人、蓮實重彦。戦争があり安保の盛り上がりや学生運動があり、世界的に(先進国では)共時的な構造がある。共産党、資本主義、共産党(ソ連スターリン)以外のマルクス、サルトルから構造主義へ。戦前の左翼(国家と対立するので本気度が違う)に比べ戦後の解放は思想家や作家を第三の新人など軽薄にしたが学生運動の中、再び盛り上がりを見せるもバブル2015/08/10
ミスター
4
再読。花田清輝について、その理論をマクルーハンとバフチンの結合であると指摘した浅田彰の指摘は示唆的だが、それ以外はアリバイ工作に過ぎないのではないか。同時代のへるめすグループや吉本隆明に対する目配せはわかるのだが、批評に左翼的問題意識を持続して結合する意識はあまり感じられなかった。柄谷や浅田にはその気持ちはあるんだろうが、蓮實は自分を守っているだけではないか。2018/08/16
amanon
4
本テキストが出てから既に四半世紀の時が過ぎようとしている。その間に大文字の「文学」が殆ど前時代のものになり、本書の参加者達がいう文学なるものが、最早死に絶えているのでは?という状況になりながらも、しかし文学、あるいは小説と名指される本は絶え間なく世に登場してくる…その事実についてつい思いを馳せてしまった。もしできれば、この四人で平成以降の日本の批評について語って欲しいと切に思う。恐らく、彼らの評価は惨憺たるものだろうけれど、それでも戦後の文学と批評に深く関わってきた彼らの残された使命ではないか?2016/03/03