内容説明
人間は現象しか認識しえないにもかかわらず、その限界を越えて考え語ってしまう。カントのいう「超越論的批判」を踏まえて、著者は、有限な人間の条件を超越し、同時にそのことの不可能性を告知する精神的姿勢こそが「唯物論」であり「ヒューモア」であると説く。柄谷理論の新展開を示す主要論文を集成。
目次
個体の地位
交通空間についてのノート
一つの精神、二つの十九世紀
エクリチュールとナショナリズム
非デカルト的コギト
フーコーと日本
ヒューモアとしての唯物論
ライプニッツ症候群―吉本隆明と西田幾多郎
中野重治と転向
伊藤仁斎論
テクストとしての聖書
柳田国男論
『意味の変容』論
日本植民地主義の起源
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
またの名
14
無力な自分を蔑視することでその力を誇らしげに示すイロニーが他人を不快にするのに対し、なぜか他人をも解放する超越論的な唯物論がヒューモアだとの説明は、要するに不快をまき散らす人間か否かという話ではないと思う(気がする。多分)。現代思想と日本思想・文学に独特の指摘を加える所収の諸論考を通じて、仏思想家に好まれるも知的道徳的原理がまったく無く不都合なことは責任転嫁する美しいだけの国日本の謎が浮上。伊藤仁斎論で堅固な原理を持たない社会の起源を古代ではなく江戸とし、ポスモダに対しては早くも見切りをつける特異な批評。2018/03/23
静かな生活
3
改めて柄谷の文体のような極度に高度で抽象的なものが「批評」一般として親しまれた事実がスゴい。そしていま振り返るとこれにくっついている東浩紀の解説がおもしろく、また奇妙。2021/12/22
amanon
3
理解の程は甚だ怪しいけれど、とりあえず刺激的な論文集であるということだけは把握できた。ただ、本書を読んで著者柄谷が目指す物が一体何なのか?ということが改めて気になった。そもそも学部が英文科で、最終学歴は経済科院。文芸評論家ということで世に知られ、現在は哲学者を名乗っているという経歴が今更ながらに奇異に感じられる。そしてその訳の分から無さが本書の基底をなしているという事実に著者の特異な立場を改めて確認させられた次第。それから何かと否定的な評価を下しながらも、常に吉本隆明を意識していたということを再確認。2014/09/19
桜井晴也
2
「驚くべきことは、ソクラテス、ブッダ、イエスといった連中がそろって書かなかったということである。それは、同時代に書く習慣がなかったからではないし、哲学的思想や体系がなかったからではない。彼らが書かなかったのは、書くこと(一般的他者に向かうこと)によって消滅してしまわざるをえない事柄を見出したからである。」2013/03/19
yoyogi kazuo
1
吉本隆明についてのまわりくどい批判が唯一興味を持って読めたが結局何が言いたいのかよく分からなかった。この人の言う<外部>とは要するに何なのか。内面化できないもの、という定義でよいのか。そういう概念を殊更に重視してそれを基準に他の思想家を批判するのは自由だが、このときの柄谷と後年の(今の)柄谷の「態度変更」はどう説明するのか。NAMについてもそうだがこの人はいつもやりっぱなし、言いっぱなしで総括がない。2024/06/28