出版社内容情報
【内容紹介】
魔とは何か? 日本の王権を支えてきた影の部分を、著者は日本人の情念の歴史として捉え、死者の魔が生者を支配するという奇怪至極な歴史の裏側の流れを認めないものは、真の歴史を理解することはできないと主張する。呪術師や巫女の発生、呪詛や魔除けなどを通して、日本人特有の怨念を描く著者の眼光は鋭く、柳田国男や折口信夫がいまだ形をなし得なかった論点を直截に表現した本書が、谷川民俗学の原点といわれるゆえんであろう。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
風太郎
9
この本の中ほどまでは、日本の歴史は、歴史の敗者(特に冤罪で陥れられた人)の恨みつらみが、歴史の勝者(陥れた側の人等)に大きな影響を及ぼしているものなのだということが書かれています。まあ御霊信仰とかそういう感じのことです。で、この中盤までは良かったんですが、そこから話があちこち飛んでいきます。古墳の辺りの話は紀行文に近く、『魔の系譜』という題名から少し離れてしまっているようにも感じられました。前半が良かっただけに後半が何とも残念でした。2018/09/16
ぽんくまそ
5
谷川健一が書いた物部氏と安東氏についての本は、ぼくの人生を変えた。秦氏や多氏についても谷川健一に教えられた。対して、本作は、特に氏族を限定しない、初期論考集である。清涼殿落雷事件で菅原道真を天神に祀りあげたように、日本には敗北した権力者の霊の復讐をひどく恐れる伝統がある。魔である。しかし権力闘争の埒外にある庶民は、いくら飢饉などでいくらたくさん死んでも鎮魂されない。ひどい事だ。そこで庶民は庶民の側で語りを編む。隠れ切支丹が独自過ぎる説話を作ったことを、諏訪大社の血の臭いがする奇祭とむすぶつけるのがすごい。
rincororin09
5
1960年代の後半に書かれた本。こういうのを読むたびに思うのは、高度成長とか都市化とかいったもののおかげで、本当にいろんなものが失われてしまったのではないかという危機感。例えば合併や開発でなくなってしまった地名とか。 自分のことを思い返しても、ちょっと前までは家に神棚があって正月にはじいちゃんが御神酒を供えて…とかいろいろあったはずだけど、僕の子どもたちにはもう伝わっていないし。 ともかく、どうしようもない焦燥感に駆られるんです…。2021/12/23
perLod(ピリオド)🇷🇺🇨🇳🇮🇷🇿🇦🇵🇸🇾🇪🇸🇾🇱🇧🇨🇺
5
初出は1969-1970年。購入は2002年、読了は2007年以前。先ず、日本の歴史は敗者が勝者を支配してきたという説を挙げ、様々な歴史上の事件を通して主張する。持衰、崇徳上皇、バスチャン信仰、東北の地霊の叫び、狂笑、装飾古墳等が言及される。その博学さが分かる多彩な知識が引用され、説を裏付け、意外なつながりが意識させられる。私は古くからこうしたオカルト的な事柄に惹かれていて、信じる替わりに考えるようになり、その結果この本を読んだが、今軽く読み返してみても実に興味深い。歴史学が縦糸なら、民俗学は横糸だ。
mittsko
4
原著1971年、文庫版1984年の超ロングセラー!(*´ω`*) 谷川民俗学の入門に最適な一書ではなかろうか(ただし、本書は論証に厳密な専門書ではなく、批評文である) 私見では、本書の価値は、マルクス主義者による異議申し立てと民俗学研究とが同時代において衝突しているところにこそある。こうして本書はサバルタン研究(少なくとも、その前期)と酷似し、それを先取りしている。すなわち、サバルタンとしての「常民」(本書ではこの語は使われない)の歴史が描かれている、と言えるのではなかろうか…(´・ω・`)2023/02/02