出版社内容情報
【内容紹介】
人間は経験をはなれては存在しえない。そして、ほんとうによく生きるには経験を未来に向かって開かねばならぬ。本書は、自己の生い立ちから青春時代、パリでの感覚の目ざめと思想の深まり、さらには独自の「経験」の思想を、質問に答えて真摯に語ったユニークな精神史である。
読者の皆さんへ――ここには、1つの精神の歴史が物語られています。森有正という、日本の思想界でもきわめてユニークな地位を占める1人の哲学者が自己を形成するにいたるまでのプロセスが、つつみかくさず物語られているのです。森氏は長い間、異国でのひとりぼっちの生活の中にあって、いやおうなしにすべてのできあいの観念を払いすて、自分自身の経験の上に思想を築き上げる道をえらばねばなりませんでした。観念をとおすことなく、自分の感覚に直接はいってくる事象をそのままうけとめ、そこから出発しておのずから1つの言葉に達する道を探索しなければなりませんでした。そうして獲得した独自の思想世界を、ここでは直截に、つまり経験をとおして思想を、「生きること」をとおして「考えること」を語っていただきました。――本書より
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
寛生
72
【図書館】「個人的には/僕にとっては」というしかないが、森が言いたい事は大きな独特の響きをもたらす。「生きることは考えることである」としたら、必然的な事として「考えることは生きること」となる。森が言うその考える過程においては、時には自らを殺してプルーストの文を一文一文丁寧に読んでいったり、バッハの音の流れを根気をもって再構成していくことにより、「感覚のオーガニゼーション」(177)を研ぎ澄ます事になるのではないか?それは、二百年かけてノートル・ダムが完成したり、大木がゆっくりと成長するイメージに似ている。2016/01/29
inami
29
◉読書 ★3 先月読んだ『読書と社会科学:内田義彦』で「個性的な認識と正確であることは矛盾するか」を考えるということについて「森有正」のバッハのオルガン演奏についての文章の紹介があり、そこに「森さんの本にしても、誰が読んでも同じ程度の森さん理解、そういう最大公約数的な意味での平板な共通理解では、とうてい森さんを正確に理解したなどといえない」・・と、案の上とうてい理解できず(笑)でしたが・・デカルトやパスカルの研究者でバッハ(自らオルガン演奏)とドストエフスキーが好きな森さん、ん〜なるほどと唸った点①② →2021/07/07
会津の斎藤
21
経験と体験の解釈が印象に残った。 「絶えることなく自分も変わり、相手も変わると同時に、自分と対象との触れ合いそのものが、それに応じて深化して、しかも前に認識し、経験したものが、全部その中に蓄積され、それを通して新しい変化を生むからです。だからそれは一つの変貌です。そうでなければ物の深みというのはわからないし、注意力も深まらない」2021/09/10
rokubrain
18
デカルト、パスカルを中心にフランス哲学の学者であり自身哲学者だった森有正さんの精神史。 インタビュー形式で語った自己の形成の過程が「生きることと考えること」を体現している。 フランス人と日本人の対比をすることでその思想が深まっている。 とことん考える=とことん生きる 部分部分、芸術や学問の分野で他の人も言っていることを思い出すことがあった。 あるところまで到達する人が持つ共通した視点なのかなと感じた。2021/12/30
chanvesa
12
経験と体験の違いは、こういうことも言えるのかと思える反面、腑に落ちないこともある。経験が未来に対して開かれているということだけでは、絶望的な経験を「経験」に昇華させるには同じ轍を踏みません的な安直な目的しか残らないではないだろうか。西洋と日本における自然・名所の議論はユニークだが強引な気がする。ただし、変わっていないとされていた日本人に対する批判のポイントが20年くらいはこんなことを言われていたような懐かしさがあり、社会がやはりこの10年でだいぶ痛み、人間の類型に影響を与えていることを強く感じさせる。2014/01/08