学研M文庫
擲弾兵―パンツァーマイヤー戦記

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  • サイズ 文庫判/ページ数 659p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784059011606
  • NDC分類 391.26
  • Cコード C0122

出版社内容情報

欧州戦線の主戦場に常に身を投じ、その伝説的な戦いぶりから『戦車(パンツァー)マイヤー』との異名をとった武装SS屈指の名指揮官クルト・マイヤー。戦中は最前線で、戦後は軍事法廷で、常に戦い続けてきた彼が自ら綴った激闘の記録   

内容説明

「戦車、前へ!我々は今、悪魔のように前進を開始する」緒戦のポーランド戦からノルマンディーまで、欧州戦線の主戦場で常に最前線で戦った“パンツァーマイヤー”ことクルト・マイヤー。祖国のため戦場で、戦後は戦犯として軍事法廷で名誉のため戦い続けた男が、自ら綴った第二次大戦の壮絶な戦闘記録。

目次

ポーランド戦
プラハから西部戦線へ
メッツで装甲偵察大隊を編成
バルカン作戦
ギリシャへ
“バルバロッサ作戦”開始―独ソ戦1
サセリエからヘルソンへ―独ソ戦2
ドニエプルからドンへ―独ソ戦3
一九四二~四三年の冬期戦―独ソ戦4
ハリコフ戦―独ソ戦5〔ほか〕

著者等紹介

マイヤー,クルト[マイヤー,クルト][Meyer,Kurt]
1910年12月23日ニーダーザクセン州エルクスハイム生まれ。1929年メックレンブルク州警察入隊。1934年“アドルフ・ヒトラー親衛隊”に移籍。第二次大戦開戦後、ポーランド戦では装甲猟兵(対戦車)中隊、西方作戦ではオートバイ狙撃兵中隊を指揮し、バルカン作戦では装甲偵察大隊長代理を務める。連隊長教育課程修了後、第25SS装甲擲弾兵連隊長に就任。1944年6月には、ドイツ軍最年少の師団長として第12SS装甲師団“ヒトラー・ユーゲント”を指揮した。1944年8月27日、剣付柏葉騎士十字章受章。1961年12月23日死去。享年51歳
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

むらきち

16
650ページのボリュームだけど、それでも細かく書いているようには思えなかった。本当に多くの戦場をくぐりぬけている。前半は「エンジンは兵器なり」と言い、バイクと半装軌車の機動力を活かして軽快で爽快な戦いを行い。後半となると苦しい防衛戦を生々しく書いている。とても良い本でした。2013/07/24

Richard Thornburg

9
感想:★★★★★  何かとヒーロー的扱いされがちなパンツァー・マイヤーの自伝です。  前半は彼の体験した戦闘の様子を記してあり、東部戦線での戦いやノルマンディでの戦いで苦戦を強いられていたことが伺われます。  特にカーン陥落からファレーズ包囲網の苦労は相当なものだった思います。  後半になって戦後の戦犯裁判のことも詳しく書いてあり、死刑判決時に弁護した敵国カナダ軍将兵の話は感動しました。  何事も率先して先頭に立って実践して見せ、部下の教育にも腐心する様子などはまさに指揮官の鑑です。  良書です。2014/12/17

tsune105

4
ナチスドイツの精鋭部隊である武装親衛隊の栄枯盛衰を描いた現場単位のノンフィクション。 「登場人物の多さに理解不能」に陥ってしまった。しかし、中間管理職の主人公たる著者が、苦戦の中、周囲を鼓舞しながら、経験則に基づいた最適な戦術を選択・実行したプレイングマネージャーを描き、一読の価値は絶対にある。ミリオタだけのモノにするのはもったいない。2016/08/31

dart

3
武装SSは当のドイツで敗戦後も忌み嫌われてきた、恐らくそれは未来永劫変わらないことだと思われる。国家の為、命を散らしたのはドイツ国防軍と同様なのに、誠に気の毒なことである。恰も極東の島国のあの気の毒な陸軍の、敗戦後の不当評価を見るのと同じ感がある。勝者である連合軍の裁く平和への罪とは、考えるだに笑止千万である。軍人の本分を果たしたに過ぎず、罪といえば敗戦したことによりその国家国民に対して、負け戦の罪を問われるのが本来であろう。 恐るべし勝者の驕り2014/01/22

代理

3
すげえ濃い人生。カナダ軍の戦友愛が男前すぎる。2012/03/12

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