• ポイントキャンペーン

朝日新書
国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 新書判/ページ数 254p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784022731395
  • NDC分類 323.14
  • Cコード C0232

内容説明

憲法は、国民をまもってくれる「頼れる見方」で、国民はみんなが従うべき重要なルールである…。僕らはこう考えがちだけど、答えはNO!である。憲法とは、国家=権力に余計なことをさせないための規範である。人権は国家=権力に余計なことをさせないことでまもられる。そのためには、国民は自立した個人であることが求められる。改憲勢力は、この憲法の根幹を大きく変えようとしているのだ。問題は9条だけではない。みずみずしい筆致で描く新しい憲法論。

目次

序章 ビストロのような憲法論を
第1章 キムタクの「目」で感じる立憲主義―国家=権力観でみる憲法
第2章 「ただの憲法じゃねえか、こんなもん」―人権観でみる憲法
第3章 「忠誠の木」が生まれるとき―新しくない「新しい」憲法観
第4章 イチロー選手の「個人主義」―「個人の尊重」はいきすぎたか
第5章 「こぐま園」という集団―個人主義と集団の関係
第6章 くだらぬ民主主義が必要なわけ―「投票」と立憲主義
第7章 「愛すべきアホ」たちを国家=権力からまもるには―統治機構の使い方
第8章 無自覚の高揚と自覚的選択―平和主義と立憲主義の関係
終章 愛国心を国家=権力からまもろう!―まとめにかえて

著者等紹介

田村理[タムラオサム]
憲法学者。1965年新潟県柏崎市生まれ。明治大学法学部卒業。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了。福島大学行政社会学部助教授、専修大学法学部助教授を経て、2007年から専修大学法学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ラグエル

9
大学の授業の私語を糾弾してるとこ、笑っちゃった。先日オバマ大統領の支持率が下がった時に、その理由が国家が自分たちの生活に干渉してくるから、というのがあって、この感覚が日本人には全く分からないんでしょうね、と解説員がいっていた。まさに、そんな状態がヤバイ、と言っていて、そのヤバさに気づいていない、と自覚した。アメリカは違うんだねー、なんて思っていたけど、そうじゃなくて、こっちが、欠けていた、んだ。ヤバイ政府の言いなりの改憲なんかしていたら、本当にヤバいことになっていたんじゃないの、とうすら寒くなった次第。2011/02/24

二輪病

5
本書を通して著者は、日本人にはなじみの薄い立憲主義の存在意義を問う。憲法99条では国家権力の担当者が憲法を尊重し擁護するように義務づけるが、国民個人はその義務を負わないことが記されている。つまり、国家権力を縛ることで国民の自由・権利を保障している。これが立憲主義の理念である。著者の主張をすべて受け入れることには抵抗があるが、本書全体にみられる”国民は国家権力に対してもっと懐疑的であれ”とする主張にはとても共感した。個人主義の実現は困難だけども、かといってなんでも国に頼って生きていくことがいいはずもない。2014/07/31

kishikan

5
高校を卒業後、これまで憲法についてこれほど深く考えたことがなかった。もちろん大学時代はもっと考えていない。とはいっても、近頃の憲法改正論議には興味を持っていた。憲法の本質をこれほど鋭く、そして情熱をもって語った本を僕はこれまで読んだことがない。2007/05/10

星雅人

5
★★★★☆ なるほど、憲法は国に何かをさせるためのものではなくて、させないためのものなわけね。わかりやすい。ドラマや小説を題材にして、手軽に調理してある。2010/03/28

す○○

4
タイトルに惹かれ手にとった。本文で引用される久利生公平(木村拓哉)、桑田圭祐、パタリロ、スッパマン、ゆずなどを好む人にとっては理解しやすいのだろうが、そうでないので途中からシラケテしまった(憲法ではいろんな価値観による意見を尊重することではじめて正しいルールができるという考え方をとるようであるが…)。憲法は国家=権力に余計なことをさせないためにある、というところは心に残った。2012/06/11

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/478656
  • ご注意事項