内容説明
平安朝貴族文人を魅了した奥州、みちのくとは?
目次
奥州白河・会津のみち(奥州こがれの記;関東と奥州と馬;新幹線とタクシー;二つの関のあと;江戸期の関守 ほか)
赤坂散歩(最古の東京人;氷川坂界隈;清水谷界隈;お奉行と稲荷;高橋是清 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
レアル
54
(白河・会津のみち、赤坂散歩)白河の関、そして馬文化の国というところから義経等の話になるが、話は幕末へ向かい紙数が増えていく。そして会津。こちらは著者が書いているように「何から書いてよいか分からないくらい」思い入れが強いらしくやはり幕末中心に描かれている。この中でも物質的価値が米から通貨の世界へ変わっていったこの時代。その変化にいち早く対応できたのが「薩長土肥」で、これら藩がその後倒幕へと主力藩となっていくこの偶然!と挙げながら、その4藩の成功例を挙げているのが印象深い。2017/09/20
Kaz
35
今年のゴールデンウィークに訪れた会津若松、たまに出かける赤坂など、身近な土地についての紀行文だけあってすんなり入っていけた。会津若松と名付けたのが蒲生氏郷というのは、新しい知識だ。信長の娘婿でもある貴公子氏郷がいただけあるのか、本書によると会津若松は東北の中でもかなり都びて垢抜けた土地であったらしい。薩長贔屓の私には会津藩は微妙な存在なのだが、機会を作って再訪しよう。そのときは、白河の関の付近にある陸奥と下野の国境にある住吉神社(境の明神)とセットで訪れたい。2019/11/22
AICHAN
31
図書館本。「中国・江南のみち」「同・蜀と雲南のみち」「同・ビンのみち」と読んできて、今度は日本のみち。何となくホッとする。日本人だからなのか。会津のみちについては後述する。赤坂散歩で江戸時代の上水道について語られる。溜池がダムだったことも。江戸時代の小説を読んでいると井戸がたくさん出てくる。しかし江戸は低湿地や海だったところを埋め立てて利用した町だから、海に近いところでは井戸を掘っても塩辛い水しか出ない。だから井戸ではなく別の方法で水を利用していたのだろうと思っていたが、上水道とは考えもしなかった。2016/06/04
KAZOO
20
幕末の会津藩についてのところが非常に興味がありじっくり読みました。よく東北の不便な地にこれだけの藩があったのだなあと感心しました。また人材も政府側なのに明治にはかなりの人材を輩出しています。この箇所を読むとまたなん十年かぶりに尋ねたくなります。2014/06/30
またべえ
10
太宰府には刈萱の関があった。 とってもいい名前だと思うが、歌に詠まれた記録を見つけることができない。 福島県の白河の関は京の歌人の詩情をかき立てた。白河の関は歌枕になっている。 どちらも都から遠く離れた地でありながら何が違うのだろう。都から見れば、東北が「みちのおく」なのと同じく、九州も「みちのおく」なんだけどな。 2015/03/11