出版社内容情報
20世紀の世界を覆い尽くしたコンクリート。それは場所と素材との関係性を断ち切り、自然を画一化する建築であった。自然さとは、素材や景観だけの問題ではない。タウトやライトの作品にラジカルな方法論を読み解き、水、石、木、竹、土、和紙などの素材を、それぞれの場所に活かす試みのかずかずを語る。
内容説明
二〇世紀の世界を覆い尽くしたコンクリート。それは場所と素材との関係性を断ち切り、自然を画一化する建築であった。自然さとは、素材や景観だけの問題ではない。タウトやライトの作品にラジカルな方法論を読み解き、水、石、木、竹、土、和紙などの素材を、それぞれの場所に活かす試みのかずかずを語る。
目次
序章 二〇世紀とは
1 流れゆく水―水平へ、そして粒子へ
2 石の美術館―切断の修復
3 ちょっ蔵広場―大地と融けあう建築
4 広重美術館―ライトと印象派と重層的空間
5 竹―万里の長城の冒険
6 安養寺―土壁のデモクラシー
7 亀老山展望台―自然と人工の境界線
8 和紙―究極の薄い壁
終章 自然な建築はサステイナブルか
著者等紹介
隈研吾[クマケンゴ]
隈研吾建築都市設計事務所代表。慶應義塾大学理工学部教授。1954年、神奈川県生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員などを経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
40
「自然な建築」とは、コンクリートに対して、単に自然な素材を使った建築のことではありません。なぜならば、コンクリートの素材である砂利やセメントも、元々は自然な素材ともいえるからです。しかし、コンクリートは、その侵蝕的で不可視的な特徴が切断として機能することで、我々の身体感覚を無視します。著者は、建築を人間と外界を媒介する存在と考えます。その土地に根をはった素材を用いる「自然な建築」が、日本浪漫派的な復古的でない方法で自然を見出し、外界と身体を調和させ、建築を表象ではなく存在として捉えることを可能にします。2019/07/12
ビイーン
27
広重美術館は近いので見学に行きたい。本文中盤から建設予算の話が出てくる。この当たり前過ぎる現実は身につまされる。2017/05/21
松風
21
教材研究本(ちくま「コンクリートの時代」)。ポストモダン建築論。授業中「コンクリートを使わなければいいのか?」「コンクリートを使うことも“多様性”の一種じゃね?」みたいな議論になったが、それに対する筆者の考え方と建築例を示す。表層と存在の乖離について具体的理解を深めさせる道筋のヒント。2014/07/25
Nobu A
20
隈研吾著書4冊目。同時に成毛眞推薦本も更新。其の拾陸。08年刊行。耽読とはこのこと。頁を捲る手が止まらなかった。著者の建築物は実際に数棟目にしたこともあれば、著書も既に数冊読了済みだが、適量の写真付きの本著はその中でも抜きん出た良書。隈研吾は唯の建築家ではない。環境保護ではなく環境融合主義とでも称すべきか。優秀な交渉人としての一面も持ち、該博な知識から来る建築哲学に感銘を受けた。著書の建築に対する熱量に圧倒され、建築の奥の深さに触れた気がする。何よりも引き込む文才が凄いわ。本著に巡り合えたことに感謝。2023/03/13
nbhd
16
脳みそが気持ちよくなるから隈さんの本を読みつづけている。この本も気持ちい。まず、「自然な建築」と題しておきながら、あたまで「20世紀はコンクリートの世紀だった」とコンクリート論を展開するあたりからもうステキだ。素材として「いつでも、どこでも、なんにでも、の建築」を可能にしたコンクリートは、その普遍性によって逆説的に、ヒトや土地、建物そのものから建築を分断してしまったと断じる。抵抗として、水、石、竹、土、和紙といった自然素材をもちいたみずからの建築実践を紹介している。かっちょいい。2017/05/19