感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ゲオルギオ・ハーン
23
論語や三国志を読んでいると出てくる隠者という存在について著者が考察した一冊。個人的には隠者についてよりも、論語や顔回(孔子の弟子だが、論語とは別に一章を割いている)についてのところが興味深かった。顔回は論語を読むと子路たちとは別の扱いであることが分かるし、孔子との関係性もただの愛弟子に留まらないように見受けられるところもある(顔回とのやり取りで孔子も学ぶこともある。子路が顔回に対して嫉妬する話はあるけど、顔回が誰かを嫉妬したり蔑むことはない)。竹林の七賢や陶淵明については魯迅の記述を参考に考察している。2022/03/06
糸くず
4
『論語』、『後漢書』などの歴史書、魯迅の講演、陶淵明の詩を長々と引用・訳出してグダグダ突っ込みながら読んでいるだけのへろへろエッセイ。富士の言いたいことは「『論語』」「顔回」の二章で言い尽くされている。硬直した儒教的道徳への嫌悪と反発は共感できるものの、「隠者」とは結局のところ貴族的な現実逃避の思想にすぎないように思う。乱世に必要なのは現実直視の思想ではないか。2020/04/04
大道寺
3
顕者よりは隠者でありたいと思う者として、老荘や陶淵明についての本を読んできた。本書のタイトルはまさに『中国の隠者』であって、参考になるかもしれないと思い読むことにした。/陶淵明の子孫が明治33年の日本と交流があったというのは初めて知ることだったが、他については著者が長々と文献を引用して思うところを簡単に述べるという形で、あまり本書を読む意義を感じなかった。2013/06/16
あにこ
1
ちゃんとした形で名前が残っている中国の隠者というのは大方、役人生活に嫌気がさした人間嫌いにすぎない。彼らは儒教精神、あるいはそのために腐敗しきった役人の社会には堪えきれない人種だった。今まで「竹林の七賢」というと仙人のような人々かと思っていたが、何のことはない、頭でっかちの酒飲み連だ。■そもそもまことの隠者は隠者なるがゆえに、その言行はおろかその名も残らぬ筈だった(気付かなかった)。実在の怪しまれる長沮・桀溺ぐらいまでが、せいぜい“まともな”隠者だろう。■大して面白くもない本だが、訳詩だけは奔放でいい。2019/09/21
いもせやま
1
「竹林の隠者」と称された文人富士正晴氏の中国の隠者を題材とした一冊。顕者(世俗主義者)と隠者の対比を元に魏晋南北朝期までの知識人層の思想・思考を著者の見解を交えて説いていく。一章・二章の題材は「『論語』と顔回」顕者の大本とされる孔子自身も隠者への尊敬の欲求があったことと、孔子の一番弟子顔回の隠者的性質を説く。第三章は貝塚氏の通史のまとめ。第四章『後漢書』逸民伝からが本筋であり、氏の軽快な訳文が面白い。ただ逸民伝で元役人の高級逸民が多く、政府に対し異見を言わない点を批判している。2015/01/24