出版社内容情報
あるものをあるものとして認識するとはどういうことか? 人間を「共同主観的存在」と見る立場から、認識論の再生を目指す廣松哲学、その核心を示す主著。鼎談「サルトルの地平と共同主観性」を付載。(解説=熊野純彦)
内容説明
あるものをあるものとして認識するとはどういうことなのか?われわれはいかにして「一つの世界」を共有し、その世界はどのように構造化されているのか?人間を「共同主観的存在」と見る立場から、認識論の乗越えと再生を目指した廣松哲学、その核心を示す主著。鼎談「サルトルの地平と共同主観性」を付載。
目次
1(哲学の逼塞情況と認識論の課題;現象的世界の四肢的存在構造;言語的世界の事象的存立構造;歴史的世界の協働的存立構造)
2(共同主観性の存在論的基礎;判断の認識論的基礎構造;デュルケーム倫理学説の批判的継承)
附録 サルトルの地平と共同主観性―役柄存在・言語・構造主義をめぐって
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
記憶喪失した男
9
題名がいい。中身はまったくダメである。共同主観的自我について書かれている。みんなが思ってる自分と、自分の思い描いている自分、さらに神経構造的な本当の自分は三つとも異なるはずなのに、そういう視点はなかった。2018/03/03
それん君
3
p37ページで挫折。 使われている言葉も難解で、哲学の用語が多い。 筆者が近代の認識論(客体と主体)を脱して新しい体系を作ろうとしたことはなんとなくわかった。 2017/11/29
それん君
2
これも4月に再読した本。 前回よりも読めた。 僕らは言葉を使っているつもりが言葉に思想を支配されているのかも。2020/04/23
たぬき
2
「フェノメナルな世界は``所予がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある``とでもいうべき、四肢的な構造連関において存立している」(p.78)2019/02/14
大臣ぐサン
1
哲学だけではなく学問全体が20世紀前半の隆盛をもってそれ以降停滞しているというのはよく共感できる。21世紀に入った今も20世紀前半のような思想的な発展は見られない。それは2度の世界大戦を経て人類が停滞期に向かっているということなのか、物質的な充足が精神の発展を妨げているのか。今一度、学問が人類の糧になる時代が来ることを祈りたい。哲学なき学問は学問にあらず。2021/06/23