内容説明
「存在」の意味を根底から問い直した、二〇世紀最大の哲学書。本巻では、現存在の存在意味である「時間性」を、日常性・歴史性の分析から考察。根源的な時間から存在の意味へと通じるみちすじをも予告し、壮大な議論はいったん閉じられる。人名・事項・文献索引、主要訳語対照表を付す。
目次
第1部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明(現存在と時間性(時間性と日常性;時間性と歴史性;時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性))
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
86
やっぱり、読んでも上手く、理解できた気がしない・・・orz。自分なりの解釈ですが、「私が存在する」という確固たる事実が不安定になるのは「私が存在する」瞬間を把握できない状態で生まれたからだと思う。例えば、赤子の時に生まれた時、私たちがその記憶を覚えていることは稀だ。それは、対象の比較や相似性を見出すなどの認識の仕方を知らない状況であるから。つまり、精神による認識が存在という現象を捉える時、そこには一定のブレが生じてしまう。そのブレの一部が時間でそれも存在に認識されると細かい一コマの寄せ集めに過ぎなくなる。2018/09/21
ころこ
35
純粋に存在を扱っているかというと、現存在という人間の揺らぎの様なものを「不安」や「気遣い」といった言葉を使い、むしろ人間らしさとして描写していました。他方で時間の問題を扱っているかというと「時間性という表現は、時間と空間と語られる場合に時間として理解されているものを意味するものではない。」と、時間の哲学の様な議論がなされるわけではありません。しかし、第69節で「超越」が問題となるように、人間ではなく存在の意味そのものへとハイデガーの関心が移っていった、そのことが本書を破綻に至らせて、未完に終わらせます。 2022/02/27
かんやん
28
先駆的決意性と対比的に、日常的な現存在の頽落、情態性等が時間の観点から分析し直される。過去・現在・未来などという「時の流れ」は、伝統的・通俗的な時間解釈でしかなく、根源的な時間性とは異なる。決意性にあって、現在は気晴らしから連れ戻される。現在が本来的な現在である場合、それを瞬視と呼ぶ。そこにおいて、「その日その日をなんということもなく送っている」日常を制するのである。次に歴史性が検討され、現存在がそれへ向けて投企する可能性は、歴史性から汲み取られているという。ここで相続財産、遺産という言葉が出てくる。→2022/05/19
chanvesa
26
「死がそのつど私のものであり、本来的には先駆的決意性にあってのみ実存的に理解されるものであるかぎり、〈ひと〉は死ぬことができないからである。(416頁)」死との対峙の忌避の指摘は、批判ということと異なると思うが、やはりハイデガーの新しい哲学を生み出そうというエネルギーは、ニーチェのようなデモーニッシュな思想ではなく、健全な強さをどこか感じさせる。263頁の傍点が全てに付く一節の「死に突きあたって砕け」「命運」「歴史性を可能」というフレーズに代表される強さになじみを感じることができず、最後まで苦痛であった。2021/09/05
春ドーナツ
12
次ー元(ここでは時間のこと)がひとつ加わると、幾何級数的に困難になる。意味が分断されたパラグラフになるけれど、四次元世界をイメージするときに生じる困難をイメージしてみてください(私は無理だけれど)。(四)というか通読した感想は、予想に反してシンプルだった。存在「は」時間。私は時間。なのかな。哲学から離れると思うが、私は「0と1」でもあると思った。ハイデガーは結果的に中断したけれど、その先に待っているのは「循環」だろうから、充分論じ尽くしたと思う。時間である私とは何か。哲学を超越した新たな「学」が待たれる。2022/12/13