内容説明
「存在」の意味を根底から問い直した、二〇世紀最大の哲学書。本巻では、「世界内存在」としての「現存性」の基礎的分析の一環として、「共同存在」である「ひと」のあり方に注目。「不安」「気づかい」「実在性」などを手がかりに、現存性の全体構造、真理の存在に迫る。画期的新訳。
目次
第1部 時間性へと向けた現存性の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明(現存在の予備的な基礎的分析)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
43
数年ぶりの再チャレンジですが、かなりスラスラ読めているので、今回は読了できそうです。この訳を読む限り本書が他の哲学書と異なるのは、文体だという結論になります。翻訳された際の術語の独特の言い回しに引きずられることで分かり辛くなっているだけで、訳者が読み易くしようとしている「かかわる」「うち」「じぶん」「たがい」といった「内-存在」に関する言葉を開いていることに同値する、本来の文体の柔らかさがあるのではないかと思います。そのあたりの意図を汲み取ることで本全体の雰囲気を味わうことが今回は出来ており、そういった意2022/02/06
かんやん
31
やっと共同存在として「他者」が現れる。現存在とは誰か?それは〈ひと〉であると著者は答える。「私たちはひとが楽しむように楽しんで、そして満足する。ひとが判断するとおりに、読み、鑑賞し、判断する」哲学的な意匠を取っ払うと、シンプルなことを言っている。現存在の情態性(気分)と、空談、好奇心、曖昧さなどの日常が論じられる。現存在が〈ひと〉と配慮的に気づかわれる世界とに頽落していることは、現存在が自分自身から逃避することだ、と。原語のニュアンスはわからないが、術語としてはかなり色のついた概念ではないだろうか。2022/04/15
chanvesa
29
「空談、好奇心およびあいまいさ…そうした諸性格と、その諸性格のあいだになりたつ存在にそくした連関にあって、日常性の根本的な存在のしかたが露呈される。それを現存在の頽落と名付けよう。(320頁)」実存的な生の不安や、不気味(373頁)を背景にすることを超えて、ニヒリズムや末期的資本主義の燃料となる拝金主義がはびこる崩壊過程の社会からすれば、頽落すらまだ健全であったのかもしれない。しかし、疫病と闘う連帯は長期化で薄れ、短文投稿による刹那的な感情のぶつけ合いは分断を産んでいるのではないだろうか。2021/07/22
春ドーナツ
13
前世紀に読んだ「ソフィーの世界」で今でも覚えているもの。哲学史とは「私は誰(何)か?」を探求する旅路にほかならない。シェリングに個人的に叩き込まれたのは、「学」とは「A=-A」を論証すること。ハイデガーは「私」を無機質的な「現存在」にパラフレーズしている。存在的に存在しているのは私だ。自明である。けれども自明の壁を抜けて、現象学を駆使して存在論的に「非ー私」も存在することを導出することが「学」であるとハイデガーは言う(さしあたりそういうことかなと現時点で私は思う)。「好奇心」に言及した箇所はグサグサ来た。2022/12/10
ラウリスタ~
12
(一)を読んで、あれ?案外いけるやん、っと思ったのがばかだった。ものすごく難しい。単語一つ一つは易しいし、何度も何度も反復して語り直すから、たぶん分かりやすく書かれてあるんだろうが、結局ほとんど文字を追うだけになった。理解できた点ってのは、以前他の本やらで読んで予備知識を持っていたことのみ。頽落や、真理の現れかた、など(一)を踏まえた上でどんどん話しが展開していく重要な章、だと思う。現存在と真理の不可分性の話しなんかは、あれっこれまるでコギトじゃね、と思わせる。というか、それを下敷きに語ってるんだな。2013/11/28