出版社内容情報
自らの外に仏を求める修行者にむかって「祖仏は今わしの面前で説法を聴いているお前こそがそれだ」と説く臨済(?―八七六).彼の言行を弟子慧然が記した『臨済録』は,「無事の人」に到達しようとする臨済のきびしい自己格闘の跡をまざまざと描き,語録中の王といわれている.長年にわたって,本書を愛読した訳者による待望の書.
内容説明
自らの外に仏を求める修行者にむかって「祖仏は今わしの面前で説法を聴いているお前こそがそれだ」と説く臨済(?‐867)。彼の言行を弟子慧然が記した『臨済録』は、「無事の人」に到達しようとする臨済のきびしい自己格闘の跡をまざまざと描き、語録中の王といわれている。長年にわたって、本書を愛読してきた訳者による待望の書。
目次
上堂
示衆
勘弁
行録
塔記
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
sputnik|jiu
16
「救い」は、その人の外部ではなく、人の内側にある。かといって、内側に救いを求めるとそれは外部化し、大悟はまた遠ざかる。何事もさりげなく、他意なく行い続けることが大悟への道。まるで無意識を意識化するようで、真面目に考え出すと眩暈がしてくるような思考ロジックだ。この考えを染み込ませてから、後半の「勘弁」とかを読むとかなりおもしろい。少しでも悟りへの下心を出したり、このフレームワークを外れるようなことがあれば即座に殴られる。時にそれは殴り合いに発展し、かなり笑うことになる。2013/02/27
roughfractus02
14
「仏に逢うては仏を殺せ」という言葉や大声の一喝、さらに痛棒や素手の力で問答や講話を締めくくる唐の僧臨済義玄の峻厳な禅は、一方で禅が分別知として退ける言葉や意識を無分別知に向ける要素として重視したという。確かに本書に収録された「示衆」(講義録)には、自らの言葉と「祖仏とは君たちだ」と語りかける面前の僧たちへの信頼が窺える。無分別知を体現する「真人」を語る臨済は、禅を非人間化せず、人間の心の内に問いを見出したように思える。宋代に編まれた本書だが、逸話から教えを引き出す他の禅語録よりその教えはダイレクトに響く。2023/05/08
壱萬弐仟縁
13
1120年祖本。本文→書き下し文→注→口語訳の順。口語訳から読んで遡ればいいと思う。「もし正しい見地をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自在である」(34頁)。深い指摘。いのちは貴重だが、こだわりすぎもよくないのだろう。「すべての存在は空相であって、外的な条件次第で有となり、その条件がなければ無となる」(91頁)。仏は心の清浄さ。法とは心の輝き。道とは自在に照らす清浄光に満ちている一切処。そのまま一(125頁)。この3つはなかなかいい言い回しだが、道はやや長いか。ぐずぐずするな。2013/10/08
金吾
12
面白いと感じる部分とよくわからないと感じる部分が混在しました。『示衆』の章は面白かったです。「若し真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり」や「仏法は用功の処無し、ただ是れ平常無事」、「無事にして休歇し去らんには」等は参考になる言葉かなと思いました。あと自信過剰でないとなかなか師になれないなあと感じました。2020/07/15
零水亭
11
初読の方は「示衆」から読み始めるのがいいでしょう。「行録」とかはいきなり読んでも意味不明のことも多いでしょうから(禅の教えは、端的にいえば「正しい方向性を見定め、努力を惜しまず、自信を失わずに、主体性・責任をもって生きよ」ということを繰り返しているように思えます)。 なお、彼の言葉は一見激烈ですが(本文参照)、禅に転向する前は謹厳で真面目な律僧だったようです。2019/07/11