出版社内容情報
東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し,その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない.本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であって,その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった.
内容説明
東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない。本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であるが、その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nobi
92
「イスラーム文化」に魅せられて井筒氏2冊目。生硬な書名でも禅問答のように突き放す感はない。嘔吐(サルトル)から表層意識と深層意識という入口に誘い言語の文節作用と本質の諸相に分け入る。リルケマラルメ芭蕉等夫々の鋭い感性、個体的本質フウィーヤと普遍的本質マーヒーヤ、スコラ哲学での本質と存在の対立相関、座禅と窮理、深層意識的図柄のマンダラとユダヤのセフィーロート等を思想連関空間に位置づけて行く。緻密で柔軟、詩的でvivid、壮大なスケール!とりわけ空海の視座・境地への思い溢れる。「有」発出の極としての「空」に。2017/09/08
南北
73
西洋哲学では認識対象の「本質」を追求することが重要ですが、東洋思想では「本質」を西洋哲学とは異なる方法で捉えていると論じた本です。以前読んだ若松英輔の「井筒俊彦―叡知の哲学」が補助線となっていたので、最後まで読み通すことができましたが、うかつに手を出すと挫折しかねない本だと思いました。表層意識で「本質」を捉えている西洋哲学に対し、絶対無分節の深層意識で「本質」を捉えようとする考え方がイスラーム思想・禅宗・ユダヤ思想などで存在すると指摘する本書はとても刺激的な読書体験を与えてくれました。2020/04/24
i-miya
62
2014.01.17(01/17)(つづき)井筒俊彦著。 01/15 (p008) 経験界で出会ういろいろな事物、事象につき、その「本質」をとらえようとする、ほとんど本能的な内的性向が人間、だれでもある。 本質追求、とかいうと、特別のように響くが、考えてみれば我々の日常的な意識の働きそのものが、実はたいていの場合、さまざまな事物、事象の「本質認知」の上に成り立っている。 2014/01/17
i-miya
58
2013.05.28(つづき)井筒俊彦著。2013.05.28 (西欧のサルトルの『嘔吐』の「嘔吐」と東洋の関係) 以上はあくまで、表層意識を主として表層意識の立場からの発言である。 深層意識に身を据える人の見方ではない。 むろんサルトル的「嘔吐」の場合、あの瞬間に意識の深層が垣間見られたのは事実である。 (1)言語脱落、(2)本質脱落とは、深層意識的事態である。 よって、「存在」が無分別のまま顕現する。 主人公は、深層意識の次元に身を置いていない。 2013/05/28
i-miya
56
2014.03.02(02/17)(つづき)井筒俊彦著。 03/02 (P008) 意識とは、本来的に、「・・・の意識」などというが、この意識本来の志向性なるものは、意識が、脱目的に向かっていく「・・・・・・」(X)の「本質」を、なんらかの形で把捉していなければ現成しない。 たとえ、その「本質」把捉が、どれほど漠然とした、とりとめもない、いわば気分的了解、のようなものに過ぎないにしても、である。 原初的。 原初的存在分節。 意味論的。 意味論的構造。 2014/03/02