出版社内容情報
永井荷風(一八七九―一九五九)は三十八歳から七十九歳の死の直前まで四十二年間にわたって日記を書きつづけた.断腸亭は荷風の別号,日乗とは日記のこと.岩波版全集で約三千ページにのぼるその全文からエッセンスを抄出し読みやすい形で提供する.この壮絶な個人主義者はいかに生き,いかに時代を見つづけたか. (解説 竹盛天雄)
内容説明
読む者を捕えてはなさぬ荷風日記の魅力を「あとを引く」面白さとでもいおうか。そういう日記の、ではどのあたりが最も精彩に富むかといえば、その1つとして戦中の記事をあげねばなるまい。なかでも昭和20年3月10日の東京大空襲にはじまる5カ月間の罹災記事は圧巻である。昭和12~34年を収録。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
KAZOO
107
この下巻には昭和12年から昭和34年までの日記が収められています。戦前から戦中戦後と書き綴られているのですが、最後近くはやはり年をめされたか一日一行というようなものが多くなっています。戦中などかなり出歩いていたようで、当時の世間の状況がよくわかる感じがして資料的に読むのも面白いと感じます。2017/09/22
榊原 香織
66
上下巻の下 東京大空襲で焼け出され、戦後は株券や銀行預金もダメになり、でもその割に優雅な一人暮らし。 81歳、3月に寝込み4月に死す。最後まで日記をつけ続ける。2024/02/23
ベイス
56
ドイツがポーランドに侵攻した日に「ショーパンの祖国に勝利の栄光あれかし」と記し、太平洋戦争開戦前夜には「自由の国(米国)に永遠の勝利と光栄とのあらんことを願ふ」と記し、竹やり訓練の噂に「滑稽至極。何やらわいせつなる小咄をきくようなり」と記し、通い詰めたオペラ館の閉鎖に際して「涙自ずから湧き出で襟巻を潤し」と記した荷風が、東京と岡山で3度も空襲に逢ったときは、ただ淡々と、何が起こったかの事実だけを記している。あの戦争がどのようなものだったのか、これほどリアルに迫ってくる文章を、わたしはほかに知らない。2020/09/06
ヨーイチ
35
上巻を含む。今度は初読時よりよく読めた、というか荷風の呪詛の如き思いにより共感を感ずる歳になったということか。時折出てくる私娼窟(玉ノ井)の描写が面白い。抄本なのだが、外出率の高さはチョット異常。生粋の東京っ子が戦災後千葉に住んで浅草通いをするのも、なかなか哀しい。戦前の反動で再評価されて文化勲章まで貰っているのに私生活は余りにも孤独というか孤高を貫いている。古い石碑とかお墓を発見しては書き留めているが、永六輔の生家の寺を訪問しているのを発見。永六輔がその事を何かに書いていたかは知らない。2016/10/02
もりくに
31
この本も、家猫の散歩に付き合って読んだ。1937年(昭和12年)から1959年(昭和34年)までの日記。昭和12年 母恒(つね)が亡くなるが、弟との確執から見舞い、葬儀の出席なし。追悼句 <秋風の 今年は母を 奪ひけり> ある時期より公開を想定して、「この間 何字抹消」の記載が散見するが、先人の決意に触れ、「今日以後予の思ふところは寸毫も憚り恐るることなく これを筆にして後世史家の資料に供すべし」(昭和12年6月15日)と決意し、戦争に対して傍観し、冷静に批判する。若き日に外国で「自由」を体験した故か。 2018/06/25