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出版社内容情報
戦争体験、女優デビュー、人気絶頂期の国際結婚、医師・映画監督である夫イヴ・シァンピと過ごした日々、娘デルフィーヌの逞しい成長への歓びと哀しみ……。その馥郁たる人生を、川端康成、市川崑ら文化人・映画人たちとの交流や、中東・アフリカで敢行した苛酷な取材経験なども織り交ぜ、綴る。円熟の筆が紡ぎ出す渾身の自伝。
目次
第1部 横浜育ち(港町横浜;「細い」というコンプレックス ほか)
第2部 映画女優として(女優デビュー;はじめての主役 ほか)
第3部 イヴ・シァンピとともに(旅立ち;パパラッチの襲来 ほか)
第4部 離婚、そして国際ジャーナリストとして(離婚;学生街の新居 ほか)
第5部 孤独を生きる(遠い家族;三度目の別れ ほか)
著者等紹介
岸惠子[キシケイコ]
1932年横浜生まれ。1951年女優デビュー。1957年医師・映画監督であるイヴ・シァンピとの結婚のため渡仏。1963年デルフィーヌ誕生。1976年離婚。1987年NHK衛星放送『ウィークエンド・パリ』のキャスターに就任。女優として映画・TV作品に出演し、主演女優賞のほか数多くの賞を受賞。作家、国際ジャーナリストとしても活躍を続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
90
90歳を過ぎて、この自伝である。年齢的には黒柳徹子の1歳年上で、1932年生まれの横浜育ち。岸惠子に関しては女優の顔としてしか知らなかったが、10代で小説「梯子段」を執筆し、70歳に『風が見ていた』という長編小説を出版。エッセイ賞や菊池寛賞まで受賞している。10代の頃に松竹大船撮影所に出入りし、『我が家は楽し』で女優デビュー。24歳でイヴ・シァンピ監督と結婚し、『戦場にかける橋』のデヴィッド・リーン監督からの出演オファーを断るなど数々のエピソードが語られる。→2023/09/01
fwhd8325
82
素晴らしい女優だと思います。たくさんの作品を見ているわけではありませんが、圧倒的な存在感を放ってると思います。今の年齢でももっと年齢にあった作品が製作されればと思っています。赤裸々という表現ではなく、もっと崇高な位置にあるありのままの素敵な自伝だと思いました。2022/01/14
まっと
46
女優だけでなく、作家、国際ジャーナリストとしての顔を併せ持つ岸惠子の自伝。本書で彼女が時代の波にもまれながら歩んできた「波瀾万丈」の人生、それを彩る周囲の人脈、ご本人の「永遠の夢子」としての想いや、思ったことをすぐに言動に移す活力が端々に感じられる一冊。文章は読みやすく「やっぱり女優だ!」と思わせる言い回しや行動履歴もチラホラ。副題の「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」はフランスの諺で「冒険なしに結果を得ることはできない」という意味と聞いたが、ここで描かれる彼女がこれまで歩んだ道そのものだった。2023/09/28
gtn
42
女優であるが故、また海外渡航も珍しい時代に国際結婚したが故、脚光を浴びたが、蔑視にも晒された。だからこそ、ユダヤ人やパレスチナ難民の心が解るのだろう。そんな著者を以てしても、娘との長いすれ違いを経験する。一番近い者を理解する方が難しい。2021/10/15
ごへいもち
27
文章はあまり滑らかではなくちょっと引いてしまう部分もあったけれどとにかく美しいし強い2022/03/11