内容説明
教育は社会のあり方やその変化と無縁ではありえない。その思想や制度は、近代の大きな変動のなかで変容を遂げ、経済のグローバル化や地球規模の課題が、現代の教育にさらなる変容を迫っている。未来の人間や社会のあり方を考え、そこに働きかけていく営みに向けた知として、いま教育学の何が組み換えられていくべきなのかを考える。
目次
1 教育論から教育学へ―教育学はどのように生まれたのか?(誰でもしゃべれる/誰でもやれる教育?;教育とは何か;教育学の成立)
2 実践的教育学と教育科学―教育学を学ぶ意味は何か?(実践的教育学;教育科学;なぜ学ぶのか)
3 教育の成功と失敗―教育学は社会の役に立つのか?(教育の不確実性;教育可能性に向けたテクノロジー;教育学と社会)
4 この世界に対して教育がなしうること―教育学の未来はどうなるのか?(何のための教育か;ポストモダン論の衝撃;教育目的の迷走;教育目的再構築論の危うさと可能性)
5 教育学を考えるために―何を読むべきか(本を探す;好循環;教育学を学び始めるために;教育学を深めるために;最後に)
著者等紹介
広田照幸[ヒロタテルユキ]
1959年生。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在、日本大学文理学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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りょうみや
20
教育学入門の先の内容。著者なりの教育思想史に沿った教育学概説。人間の個性と相互作用の多様さからくる教育学の難しさ、科学的であることの難しさ、足元の危うさのため、個人の思い込みレベルの教育論が入り込みやすい。それゆえ教育者だけでなく一般人も教育学を学ぶ意義を強調している。どう教えるかも大事、しかし何を教えるかが根本でそれは正解のない問いだが、その問いを抱き続けることが重要。教育学の半分以上は哲学なのだと改めて思える。2020/01/30
富士さん
4
長く教育学と名の付くところに所属しておいて、はじめて教育学を勉強しないといけなくなったため入門書として選びました。理由は単純、著者のファンだから。でも、さすがな内容でした。教育を語る上で最も重要なのは学習とどう違うかだと思いますが、著者はそこに「誰かの意図」が関わっているかを置きます。そう考えれば、教育とは何かを教えるではなく、そこに込められた誰かの意図を刷り込むことにある。その点社会化の営みそのものであり、過激に表現すれば求められる価値への洗脳であり、服従を叩き込む調教である、と言えると思います。2020/09/22
Riopapa
3
教育に関係する職場にいるが、しっかりと教育学を学んだことがなかったので、いい勉強になった。教育は誰でもが経験してきており、居酒屋談義にはのりやすい。英語教育など、まさにそうだ。だからこそ、理論武装は必要。2022/01/31
greenman
3
おそらく教育学の入門書の「入門書」といっていい本。こういうタイプの本を書くのは意外に難しく、変な自説とテキトウな学問の流れを中心に書かれることがあるけれど、本書は教育が必然としてもっている矛盾をしっかり指摘している。たとえば教育科学という科学の裏付けが多少ある分野と、実践的教育学という科学の裏付けできない私的な実践理論が存在する。これはすべての人文学が共通している矛盾だが、科学的でない部分がたくさんある。その中で「何に向かって教育するのか」という問題は大きく、目的のなくなった技術知(教え方)が迷走した。2012/05/02
_udoppi_
3
教育学の内容というより、「教育について語るときに守るべき作法」についての本と言われた方がしっくりくる。臆見や推測、イデオロギーが容易に入り込みやすい「実践的教育学」と、実証科学であるが故に無目的で限定的な知見しか提供することができない「教育科学」の相互補完性を軸に、教育学は何をなしうるかを論じている。勉強すればするほど、「教育について語るということは、国家について、社会について、ひいては人間について語ることと同義」という堂々巡りから脱することができない。幅広い知見が求められるとは全くその通りだろうと思う。2011/12/21