出版社内容情報
アメリカと日本での生活のなか、さまざまな植物をみつめる。日米の自然観の違い、植物をめぐる人々の関わり。母の死、父の死。成長する子どもたち。生々流転する植物を前に、生命のあり方を詩人の柔らかな感性で考える。日米の一年の季節を描き、死と再生の大きなリズムをくみだす、新しい自然の物語。
内容説明
アメリカと日本での生活のなか、さまざまな植物をみつめる。日米の自然観の違い、植物をめぐる文化との関わり、そして生々流転する植物を前に、生命のあり方を柔らかな感性で問う。日米の一年の季節を追い、死と再生の大きなリズムをくみだす、詩人の新たな展開!
目次
前庭の植物たち
ユーカリ・タバコ・パーティー
黒法師艶な日傘をさしてゐる
草むら、ののはな
生きている木と死んでいく木
富士山たちと巨木たち
黴と戦う
夏草や
私はなぜパンパスグラスを殺したか
それぞれの秋〔ほか〕
著者等紹介
伊藤比呂美[イトウヒロミ]
1955年生まれ。詩人。第16回現代詩手帖賞を受賞し、新しい詩の書き手として注目される。第一詩集『草木の空』(アトリエ出版企画)以後、詩人として活躍、『河原荒草』(思潮社)で2006年高見順賞、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』(講談社)で2007年萩原朔太郎賞、2008年紫式部賞を受賞。1997年に渡米後、拠点はカリフォルニア州となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネギっ子gen
58
【植物の生き死にを考えつめた。とりあえず身の回りの植物のことは書き尽したと思って連載を終えた】日米で生活する著者が、生々流転する植物を前に、生命の在り方を柔らかな感性で問うた書。『図書』連載。<植物のことばかり考えていた。外を歩けば、植物ばかり目についた。植物を調べにネットの世界に分け入っていって、なかなか現実に戻れなかった。自分はほんとは草なんかじゃないかという気がしきりにした。人間というよりは草だった。あるいは木だった。蔓だった。21か月間、そんなふうに生きていた。からみついていたといってもいい>。⇒2023/11/29
さなごん
27
私は植物の名前をそんなに知らないことが分かった。ただただ伊藤さんの文章をかみ砕こうとするもかみ砕けず、あっぷあっぷと言葉の海におぼれていた。そんな本だった。お父さんの死の影響の大きさよ。写真がもっと多かったらいいなあ。2015/11/14
さよちゃん
21
相変わらずカリフォルニアと日本をせわしく往復する伊藤比呂美さんの、植物に関するエッセイです。花もグリーンも好きだけど、自分で育てるのは苦手だし、植物の名前も知らないので、ネットで画像を検索しながら読みました。全ページフルカラーで写真付にして欲しかったです。それにしても、雑草の名前を命がけで調べたり、道端の植物に死生観を見たり、詩人の感性ってすごいなあと感心しました。それほど植物に思い入れがないのであまり共感は出来ませんでしたが、比呂美さんの文章は読んでいるとほっとします。先輩、と呼びたい(笑)2014/07/23
ハチアカデミー
18
カリフォルニアに、熊本に、世界各地に植物がある。それぞれの置かれた環境の中で、実は種の起源なんて世界各地であべこべで、どこも彼処も帰化植物だらけなのに、堂々と生えている。植物の儚さと人生の儚さをメタファーとして表現するなんておこがましいわ! とでも言いたげに、日常に、過去の思い出に登場する草木を記したエッセイ集である。背後に強烈な死のにおいを感じさせはするものの、どこかドライな筆致。「死なないことが生きること」である植物を写すことで、人間の死さえも、生物の営みのひとつとして描こうとしているかのようである。2014/09/27
かふ
16
カリフォルニアの乾燥地帯の植物と日本の四季折々の植物の想い出。日本だと帰化植物として嫌われ者のセイタカアワジソウもカリフォルニアだと保護植物になるとか。ススキのお化けみたいなパンパスグラスは近くのおしゃれなショッピング・モールにも植えられていた。それがまた帰化植物となって日本のススキを駆逐していくのかもという。植物のせいではないんだけどね。そう言えば別れてベランダに放置していたサボテンがしぶとく大きくなっていたことを思い出した。日本だとベランダに放置してもサボテンは育つ。2023/07/28
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