内容説明
殺人か、尊厳死か。延命治療中止をめぐって命の倫理が争われた「川崎協同病院事件」。もう“安らかな死”は選べないのでしょうか―。
目次
第1章 患者Aさんの死 98年11月16日、この日、病室で起きたこと
第2章 逮捕 沈黙がいっそう私を不利にした
第3章 裁判―横浜地方裁判所 私が「殺意」を持って「殺害」した!?
第4章 有罪判決 この判決の裏側に潜むもの
第5章 控訴審―東京高等裁判所 裁判は第一審が「すべて」なのです
第6章 上告―最高裁判所 尊厳死のガイドライン
第7章 私がしたことは殺人ですか? 殺人罪確定/救急医療現場の「終末期」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ぶんこ
44
須田医師を殺人者とは思いません。正直で患者さんや家族への思いやりに溢れた医師。苦しんでいる患者さん、それを見ていなければならない家族の辛さを理解できる医師。私自身喘息患者なので身につまされ、呼吸器の主治医に恵まれていないだけに、ご近所だったら主治医をお願いしたいくらいです。逝去されて3年経ってからの賠償責任には疑問。つくづく万一が考えられる治療を施す場合には、撮影をしておく事の意味を考えさせられました。苦しむ身内を見ていた時にはくだせた判断も、亡くなられた後には、どうしても後悔がうまれるもの。責められず。2019/10/04
まるぷー
19
率直に須田医師の行為は善意の医療行為であって殺人ではないと思う。患者Aさんの気管内チューブの抜管を申し出たのは妻であり、須田医師はそのことでどういう結果を招くか説明し承諾したはずだ。しかも、3年も経過してから捜査、逮捕には何か損害賠償絡みの胡散臭いものを感じる。それはさておき、意識のない患者を生命意地装置や人工呼吸器に繋ぎただ生かすだけの処置に疑問も感じる。延命治療の中止の適法、尊厳死の法的整備を国は真剣に考えるべきでないだろうか?自分が治癒不能な病状に陥った時、消極的安楽死又は間接的安楽死を選択したい。2024/01/09
ひお
16
延命中止=殺人に対する疑問・問題を自分を例にして読者に語りかける問題提起の一冊。ボク自身家族が呼吸不全(じん肺)で2年の闘病の末の最期だった経験あるから他人事じゃなく思えた。ボクの見地からすれば須田医師、あなたは医者であり、殺人者なんかではない!ただし、現行法で殺人者の汚名を着せられることは仕方がないかも知れない。この事件を機に現行法からより良い方向への改法がのぞまれる。2010/06/12
itokake
12
殺人ではない。院内のゴタゴタのとばっちりを受け、安楽死の法整備がないので「殺人」になった。きっかけはT医師。須田先生と麻酔の使用法で意見の違いがあったのと、川崎協同病院に不満があったので、ある喘息患者の死を事件化した。配偶者は「管を抜いてください」と言い、子や孫を集め看取った。それから3年後に事件化すると、「言ってない」と証言し、賠償金5000万円を得た。控訴審で家族の依頼があったことは認められたが、法律上殺人罪は適用。訴えられないようにと考えるから、「(病院や施設に)預けていけばいくほど、延命になる」2021/06/27
うがり
9
負の前例はその後も引き継がれていってしまう。著者が巻き込まれたこの裁きによって日本の医療はかなり狭く苦しいものになってしまった。今のままでは患者も医師も辛い状態を継続させ、負のスパイラルを生むことになる。だからこそ著者は闘った。だが司法、いや日本の根底にある考えに負けた。最近になって安楽死やリビングウェルなどの考えが広がり始めているが、日本ではその議論の醸成以前のものがある。この前例(あと東海大学付属病院の件も)がある限り、良い方向には進まないと思う。2019/12/18