わが若き日―決死の日本脱出記

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  • サイズ B6判/ページ数 207p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784901622691
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0023

内容説明

「東の福沢諭吉」に対し「西の新島襄」と謳われる男のあまりにも破天荒な青春!函館~上海~アフリカ沖~ボストン…命をかけた脱出行!「奴隷になってでも俺はアメリカに行ってみせる!」

目次

第1章 わが若き日(「七五三太」の由来;七五三参り ほか)
第2章 航海記(自 元治元年六月函館出発;至 慶応元年十月ボストン到着)
第3章 七五三太時代の手紙(玉島から父民治宛て;函館から父民治宛て ほか)
付章 新島精神と日本精神(徳富蘇峰)(新島先生と講演者;新島先生と不可分の同志社 ほか)

著者等紹介

新島襄[ニイジマジョウ]
1843年、安中藩江戸屋敷で生まれる。若年の頃より才気煥発、藩主にもその将来を嘱望される。1864年、アメリカを目指すべく国禁を犯して函館で米船に乗り込み日本を脱出、上海を経由し翌年、ボストンに着く。その後、A・ハーディー夫妻の庇護のもとアメリカの大学や神学校等で大いに学び、洗礼も受ける。1872年、ワシントンで岩倉使節団と会い、駐米公使の森有礼らに見込まれて使節団に随行することを命じられ、欧米各国の教育機関やその制度を視察する。1874年、約10年ぶりの帰国を果たすと翌年には同志社英学校を開校、初代社長に就任。1876年、山本覚馬の妹八重と結婚、引き続き同志社の発展に心身を尽くす。1890年、募金運動中に前橋で倒れ、静養先の大磯で死去、享年47。京都の東山若王子山頂に眠る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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