内容説明
ファウストの聖書翻訳が切り開く「1800」の、詩・哲学・教育。ニーチェのタイプライター導入に始まる「1900」の、文学・精神分析・メディア技術。二つの「書き取りシステム」の間で、書く行為はいかにその地位を変容させたか、文学言説の回路はいかなる性差のもとに配置されたか。ドイツ・メディア学の大立者による、破格の記念碑的大著!フーコーとラカンを道具立てに厖大な文献を縦横無尽に博捜して描く、革新的なメディアシステム論。
目次
1 一八〇〇(学者悲劇―舞台上の前狂言;母の口;言語の通信路;乾杯の辞)
2 一九〇〇(ニーチェ―ここに悲劇が始まる;偉大なラルラ;判じ絵;クィーンの捨て駒)
著者等紹介
キットラー,フリードリヒ[キットラー,フリードリヒ] [Kittler,Friedrich A.]
1943年生、2011年歿。ボーフム・ルール大学教授などを経て、1993年よりベルリン・フンボルト大学教授。メディア論を軸に思想・文学・芸術・歴史を論じ、ドイツのメディア学を牽引するのみならず、20世紀後半の諸分野の知に大きな影響を与える
大宮勘一郎[オオミヤカンイチロウ]
東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門はドイツ文学・ドイツ思想
石田雄一[イシダユウイチ]
中央大学法学部教授。専門はドイツ文学・ドイツ思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ぷほは
6
この本ばかりは2022年に持ち越すわけにはいかないと思いつつ、大晦日を一日一杯使っても、あと一歩で届かなかった。ゲーテと哲学者たちが始めたシステムをニーチェが破壊し、新たなシステムを精神分析と蓄音機と映画、そしてタイプライターが開始する。シュレーバーとリルケの身体、ゲオルゲの翻訳、カフカの恋文、ヴァレリーの戯曲等々といった素材から実行される言説分析は、フーコーとラカンに寄り添いながら「女性」の象徴から想像へ、そして現実に至る旅路を導きとする。間違いなく現代のメディア論でもあり続けている、掛け値なしの大作。2022/01/01