クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道

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  • サイズ A5判/ページ数 239p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784888511575
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0045

内容説明

一家総出で、19年間に85万匹ものオワンクラゲを採集した結果がノーベル賞へ。科学者としての冷静さ、執着心、探究心などが率直に語られた著者はじめての自伝。

目次

序章 ノーベル賞受賞の発表
第1章 私の生い立ち
第2章 学徒動員と長崎原爆体験
第3章 長崎薬専と長崎大学薬学部、そして名古屋大学理学部
第4章 結婚と渡米
第5章 帰国、そして再渡米
第6章 ジョンソン博士の退職とその後
第7章 1990年以後のこと
第8章 私のMBL退職後
第9章 ノーベル賞受賞と授賞式出席
第10章 日本での歓迎

著者等紹介

下村脩[シモムラオサム]
1928年(昭和3)京都府福知山で生まれる。父の勤務(陸軍)の関係で佐世保、満州、大阪に転居。1944年(昭和19)諌早市に疎開、旧制諌早中学転入、学徒動員、翌年動員中に原爆目撃。1948年(昭和23)長崎医科大学附属薬学専門部入学、1951年(昭和26)卒業、実験実習指導員。1955年(昭和30)名古屋大学理学部平田研究室の研究生、1956年(昭和31)ウミホタルルシフェリンを結晶化。1960年(昭和35)フルブライト留学生として渡米、プリンストン大学研究員。1961年(昭和36)フライデーハーバーで研究、イクオリンと緑色蛍光たんぱく質(GFP)発見。1963年(昭和38)帰国、名古屋大学水質科学研究施設助教授。1965年(昭和40)再び渡米、プリンストン大学上席研究員、イクオリン、GFP、その他の研究。1981年(昭和56)ウッヅホール海洋生物学研究所へ移籍、ボストン大学医学部学外教授、2001年(平成13)退職。2004年(平成16)ピアーズ賞受賞。2007年(平成19)朝日賞受賞。長崎大学名誉校友の称号を受ける。2008年(平成20)ウッヅホール海洋生物学研究所特別上席研究員、文化勲章受章、ノーベル化学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

順子

11
下村先生の厳しく豊かな学者人生と研究について。生物発光の仕組みについてもうっすらと自分レベルだけど理解しました。一番うれしかったのは受賞ではなく研究成果を出せたこと、ええそうでしょう、ここまで読むとわかります。そしてノーベル賞はうれしいものではない。そうですよね、高齢で胃腸が弱い先生には連日の宴会はツラいだけでしょう。なんかこの辺は自分の父の事のように読んで、私が代わって出席しようと思いました。息子さんもそうしています。2021/05/16

ポテンヒット

6
著者の人となりが分かる文章。正直で努力家。損得で物事を考えない事が、却って良い方向へ進んでいるように思われる。それにしても、オワンクラゲを85万匹も採取するって凄いな。研究についても事細かに、でも初心者にも分かりやすく書かれている。発光生物が意外とたくさんいるのにも驚いた。二人のお祖母様の話も好き。ノーベル賞受賞式や皇居の様子など、限られた人しか行く事の出来ない場所の描写も興味深く読んだ。2021/07/26

厩火事

6
理路整然とした本。生理学には疎い自分ですが、とても楽しく読み終わることができました。

きょう

4
日時や名称のきっちりした部分は、研究にかかわる記録を全てとっておられたからかと、内容と共に感心しながら読みました。ノーベル賞受賞時の報道では家族の協力がクローズアップされましたが、実際はそうでしたか。研究者としての自負、後世への責任と、人間的にも素晴らしい方でした。 前半の生い立ちの部分では、身内がいた場所が…。本人からは詳しく聞かなかったが、ほぼ同年代なので同じ経験をしたかも?と存命の叔母に確認したり。いずれの描写も淡々と、この時代の記録としても貴重です。2019/07/09

mkk euk

4
★★★★★ 輝かしい功績の裏での絶え間ない努力が描かれている.非常に面白かった.2015/10/09

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