沖縄一中 鉄血勤皇隊の記録―証言・沖縄戦〈下〉

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沖縄一中 鉄血勤皇隊の記録―証言・沖縄戦〈下〉

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  • サイズ A5判/ページ数 366p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784874983515
  • NDC分類 916
  • Cコード C0021

内容説明

沖縄戦の末期、中学生兵士たちは首里から軍と共に南部へ撤退する。だがすぐに、そこは地獄の戦場となった。軍は解体され、中学生たちは“鉄の暴風”の下をさまよい、ある者は負傷、ある者は絶命し、ある者は国頭突破をめざす…。数十人の証言をもとに再現した“戦場の実相”。

目次

一中鉄血勤皇隊の各隊、さらに真壁に後退す(六月上旬)
野戦重砲兵第一連隊、志多伯から真壁に後退す(六月三日~六月一〇日)
摩文仁岳の第五砲兵司令部の一中鉄血勤皇隊員(六月上旬)
島尻で家族と、または単独で行動した一中生徒(五年、四年、三年生)の状況(六月上旬)
通信隊に参加できなかった一中二年生の状況
鉄血勤皇隊本部先発隊、真壁村伊原で壕を築く(六月上旬)
篠原保司配属将校、喜屋武で戦没す(六月一〇日~六月中旬)
摩文仁・喜屋武での通信隊員の状況(六月上旬~六月中旬)
崩壊寸前の独立工兵第六六大隊、第五砲兵司令部、独立重砲兵第一〇〇大隊(六月中旬)
藤野憲夫校長、伊原で戦没す(六月一四日~六月一六日)〔ほか〕

著者等紹介

兼城一[カネシロハジメ]
1928年2月、両親の移民先フィリピン・ダバオ市で生まれる。1941年、沖縄県立一中に入学、1945年3月に卒業した。沖縄戦がぼっ発した時、一中鉄血勤皇隊から軍兵站部に転出し従軍、7月に捕虜となる。ハワイ・ホノウリウリ捕虜収容所に送られ、日本の無条件降伏を収容所で聞く。同年10月に沖縄に送還され、翌11月に屋嘉捕虜収容所から釈放された。この戦争で両親と4人の弟を失った。1952年に上京し大学に入学。沖縄の祖国復帰運動にたずさわったため、卒業後は米軍占領下の故郷に帰れなくなり、東京に残留した。その後、編集者等をへて、現在はフリー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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