出版社内容情報
シニア・ボランティアとしてラオスのTV製作指導にたずさわった夫と近所の人気者になった妻。のんびりしたラオスの日常生活をユーモアあふれるタッチで描いた珠玉のエッセイ。スローライフに徹したラオス的生活をとおして、ラオスの文化や習慣、宗教などが良く理解でき、ラオスを知るための入門書としても最適。
第1章 はじめてのビエンチャン
赤い街・水の街【R&Å】 家さがし【R】 契約交渉【R】 村の我が家【R】 ボーペンニャン【R】 我が家の助っ人たち【R】 カオ・パンサー【R】
第2章 村の生活――その一
ワット・チョンペット【R】 モーニングコーヒー【R】 マダムの買い物【A】 ジャガ芋が消えた日【A】 ノイさんの料理【A】 ダムの料理【A】 マダムの誕生日【R】 爆弾事件続発【R】 内戦の後遺症【R】 電話代【R】 自家用車購入【R】 メコン川増水【R】 ティアさん【A】 ラッキーさん【A】 ラッキーさんの親戚【A】 ヤックくん【R】 菜園の収穫【R】 タイへの買い出し【R】 ボートレースの日【A】 タートルアン祭り【R】 得度式【A】
第3章 村の生活――その二
朝の散歩コース【A】 夕方の散歩コース【A】 我が家の小動物たち【A】 アナ―マイ【A】 村の子どもたち――タコブの実【A】 村の子どもたち――ラオ【R】 ラオ国営テレビの「若き獅子たち」【R】
第8章 さらばビエンチャン
我が家の年末年始【R】 秘書になったラッキーさん【A】 食堂を出したティアさん【A】 我が家の「ピーマイ・ラオ」【A】 お別れバーシー【R】 引っ越し【R】 空港で【A】
あとがき
【R】は菊地良一、【A】は菊地晶子が担当。
私たちは、二〇〇〇年六月から二〇〇二年六月までの二年間、ラオスの首都ビエンチャンで暮らしました。JICA(国際協力事業団、現・国際協力機構)シニア海外ボランティアとしてラオス農林省に配属され、農業普及テレビ番組の指導をするのが仕事でした。
帰国してすぐ、東京・神田にある「アジア文庫」に足を運びました。「アジア文庫」は、一九八四年に開業したアジア関連のさまざまな書籍を扱う書店です。「ラオス」と表示された書架は、相変わらずたった一列、一〇タイトルもありませんでした。二年前、ラオスへ出発する前に見た時とほとんど変わっていません。
一方、隣の「タイ」の書架には、まさにあふれんばかりの書籍が数列にわたって並べられているのです。日本人にとってラオスは、タイに比べ、それほど関心も魅力もない国なのでしょうか。確かにラオスには、見るべき観光地もありません。食べ歩きや買い物の楽しみもありません。タイに比べ、物価も安いとは言えません。
しかしそこには、日本人がどこかに置き忘れてきてしまった人情あふれる素朴な生活とゆったり流れる時間があるのです。いわば「スローライフ」の世界です。
いま日本では、「スローフード」、「スローライ
シニアは生きがいをアジアに求める
生きがいをアジアに求めるシニアたちが急増しています。定年になってもまだエネルギーは十分、アジアの各地で専門家やボランティアとして自慢の技術を伝えたい、という元気あふれる熟年世代です。この夫婦もTV製作の指導にラオスにやってきました。のんびり、ゆっくりしたラオスでの近所づきあい。スローライフを満喫した二年間のエッセイです。
シニア向きに活字も大きく、写真もたっぷり。「ラオス入門」としても最適です。
目次
第1章 はじめてのビエンチャン
第2章 村の生活―その一
第3章 村の生活―その二
第4章 ビエンチャン観光
第5章 小旅行―シェンクワン
第6章 小旅行―ルアンパバーン
第7章 TV番組制作
第8章 さらばビエンチャン
著者等紹介
菊地良一[キクチリョウイチ]
1939年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、1963~96年NHKに勤務し、教養・教育番組のディレクター、プロデューサーとして多くの番組を手がける。93~95年、JICA専門家としてタイ国営テレビ・チャンネル11で番組制作指導にあたる。96~99年、放送大学学園勤務。2000~02年、ラオスでJICAシニア海外ボランティアとして農業普及番組の制作指導にあたった
菊地晶子[キクチアキコ]
1944年東京生まれ。1966年日本女子経済短期大学卒業後、結婚。一人娘は91年に結婚。その後、夫とともにバンコクとビエンチャンでそれぞれ二年間の生活を送る
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