内容説明
私は、自分は生まれつきの“旅人”かもしれないなどと思ったりした―。『世界の旅』で人気を博した兼高かおるが記したアメリカ留学の想い出、取材で訪れた東南アジアの国々。日本人に“世界”を見せてくれた著者の、幻の処女エッセイ集。
目次
1 アメリカ
2 台湾
3 タイ
4 フィリピン
5 マカオ
6 ホンコン
著者等紹介
兼高かおる[カネタカカオル]
1928年神戸市生まれ。1954年に米国ロサンゼルス市立大学に留学。帰国後はジャーナリストとしてジャパンタイムスなどに寄稿。1959年から1990年まで、テレビ番組『兼高かおる世界の旅』(TBS系)をディレクター兼プロデューサー、ナレーターとして製作。取材国は約150か国にのぼり、地球を約180周、1年の半分を海外取材に費やした。外務大臣表彰、菊池寛賞、文化庁芸術選奨、国土交通大臣特別表彰など、受賞多数。1991年紫綬褒章受章。「横浜人形の家」館長、日本旅行作家協会名誉会長、淡路ワールドパークONOKORO「兼高かおる旅の資料館」名誉館長、東京都港区国際交流協会会長などを歴任。2019年1月5日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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chatnoir
24
世界は素敵な事に溢れていると教えてくれたのは兼高さんだった。昔は海外の映像は溢れていなかった。見城さんが出てきたのすら、その20年も後だと思う。兼高さんは本当に最先端の女性だった。まだ敗戦の記憶も強く、親の世代ではアメリカなんて大嫌いだろうに、娘を留学に出す懐の大きさには本当に驚く。エッセイは60年以上も前のものだけど、これからアジアが重要になると流石の先見の明も見せていた。頭の良い人だとつくづく思う。チャーミングだったし、言葉の使い方も独特で、ノスタルジック。楽しく、色々考えさせられるエッセイだった。 2019/06/04
amdd
9
先日亡くなってから兼高かおるさんという人を知って、興味がわいて、本を借りてみた。とても綺麗な人である。彼女が世界を旅していた頃、日本人はまだ自由に海外に出かけられなかったそうだ。取材スタッフは彼女を含めて3人で、世界の著名人ともたくさん会ったという。彼女、アメリカ嫌いだったことも公言しており、ずいぶんとズバズバ物を言う。とにかく世界各国を旅していて羨ましかった。独特な感性による旅エッセイ、楽しんで読めた。2021/08/04
hitotak
9
今から60年程前の、アメリカ留学時代とその後の東南アジア紀行文。まだ戦争の記憶が鮮明なアジア諸国で日本の評判を気にする記述が繰り返し書かれていて、緊張感と覚悟を持って旅をしていたことがわかる。この旅の後にあのTV番組が始まり、映像ジャーナリズムの人になったこともあって兼高氏の著作は少ないが、観察眼に優れ、当時の空気が伝わってきた。私生活を明かさず、自分の事を話すことはなかったと後輩にあたる黒柳徹子が語っていたが、美女で生涯独身、戦後の貧しい時代から世界を旅し続けた兼高氏の評伝、誰か書いてくれないかなあ。2019/03/31
noko
7
1959年に出された本です。アメリカ、バンコク、香港、台湾、マカオなどに兼高かおるさんが滞在した時の思い出を語っているが、私は産まれていないので、その頃の日本でさえもわからない。アメリカで留学はやりくりに努力なさっていた。1ドル360円の時代だもの。台湾は日本統治の名残がすごく残っていたんだな。日本語がどこでも通じるのは便利ではあるが、複雑。タイでの国際結婚は、当時も今もなかなか難しいみたい。一夫多妻は法律的には1世紀前に禁止されているが、実際バンコクに行くと、複数の妻がいる人やお妾さんがいる人も。2023/05/04
にゃーごん
7
最近、著者に影響を受けたという人の話を立て続けに聞いて気になって手に取った。彼女の番組は観たことないが、なるほど好奇心に溢れたとてもチャーミングな人で、現地の人とも積極的に仲良くなっててすごい。本書は1959年に書かれた旅行記で、戦後のアメリカや台湾、タイ、フィリピン、返還前のマカオや香港などの姿が生き生きと描いているほか、日本人との歴史的関わりを基にした独自の分析が面白い。この兼高節でぜひ他の国の紀行も読んでみたい。台湾へ向かうフライト中にコックピットに入れてもらった話が今ならあり得なさすぎて羨ましい!2022/11/27