出版社内容情報
1961年8月10日、アメリカ軍は枯葉作戦を開始、史上最強の猛毒・ダイオキシンは、ベトナムの人と自然を破壊しつづけた。それから30年、遺伝子を損傷された子どもたちが誕生し、被害家族の苦しみはたえることはない。
枯葉剤被害者たちは、2004年1月、ニューヨークの連邦地裁に枯れ葉剤製造会社を相手に集団訴訟を起こした。2005年3月の第1審は訴訟の棄却であった。ベトナム戦争への勝利の道が長かったように、法廷闘争も長い道のりが予想される。製造元化学会社は、猛毒性を知りながら、ひたすら自社の利益のために口をつぐみ、虚偽を押し通している。被害はベトナム人のみならず、アメリカおよび同盟国の兵士にも、その家族にも現れている。人工物でこの世で最強の毒の入った化学兵器を使用したアメリカの行為が30年たってどういう結果を生んだか。
まえがき
Ⅰ 提訴――二○○四年一月三○日
Ⅱ 七色の雨
Ⅲ 医療現場から
Ⅳ アメリカの化学戦争犯罪
あとがき
資料
ベトナム戦争終結30年企画として出版しました。
内容説明
1961年8月10日、アメリカ軍は枯葉作戦を開始、史上最強の猛毒・ダイオキシンは、ベトナムの人と自然を破壊しつづけた。それから30年、遺伝子を損傷された子どもたちが誕生し、被害家族の苦しみはたえない。元兵士、看護士、医者、弁護士などの証言から明かにする。
目次
1章 提訴―二〇〇四年1月30日(ケネディの決定;訴訟;訴訟を支える人たち)
2章 七色の霧を浴びて(フンの世界;五五九部隊の人々は今;五五九部隊の女性兵士たち―ベトナム戦争のキーファクター ほか)
3章 医療現場からの証言(アメリカは自国の軍人に対して補償しました―グエン・ブイ・ダイ;枯葉剤は死が目に見えないのです―グエン・フン・フック;最初にとりあげた子には脳がなかった―ドン・ティ・ネン ほか)
4章 アメリカの化学戦争犯罪
著者等紹介
北村元[キタムラハジメ]
1941年大阪市生まれ。64年日本大学卒業、テレビ朝日入社。77年イギリスBBC出向、89年からバンコク支局長、95年からハノイ支局長、97年シドニー支局長を経て2001年退社。この間「蜂谷真由美韓国移送」「韓国大統領選挙」「カンボジア紛争」「ベトナム戦争終結20年後の後遺症」「パプアニューギニア津波」「スハルト体制崩壊」などを取材、番組制作にかかわる。西シドニー大学人文学部にて名誉客員研究員を経て、現在フリーのジャーナリスト。枯れ葉剤後遺症の被害者支援活動等をおこなっている
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