犀の教室 Liberal Arts Lab<br> 日本語からの哲学―なぜ“です・ます”で論文を書いてはならないのか?

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日本語からの哲学―なぜ“です・ます”で論文を書いてはならないのか?

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  • サイズ B6判/ページ数 312p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784794973276
  • NDC分類 810.1
  • Cコード C0010

出版社内容情報

〈です・ます〉体で書き上げた論文が却下された著者が抱いた疑問。「なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?」

〈である〉と〈です・ます〉、二つの文末辞の違いを掘り下げていった末にたどり着いたのは、全く異なった二つの世界像=哲学原理だった。

国語学、日本語学の成果をふまえ、日本語で哲学することの可能性を追求した画期的な論考。〈である〉と〈です・ます〉それぞれが表す哲学原理とは? 愛、正義、ケアの概念は〈である〉で語るべきか、それとも〈です・ます〉で語るべきか? 世界には〈です・ます〉でしか描けないものがある。スケールの大きな思考実験にして、唯一無二の哲学入門。

「本書は(自分て?も驚くのた?か?)日本語の「て?す・ます」と「て?ある」について、たた?それた?けを論し?た本て?ある。た?か?、その結果として(これも驚いたことに)、全く異なった二つの世界像に到達する。この二つの世界像か?それそ?れと?のようなものか、それらにと?んな意味か?あるか、それを今ここて?示すのは難しい。その意味、というより、それらに何らかの意味か?あることを明らかにするためた?けに、これた?けの分量か?必要た?ったと言うしかない。もしその内実に関心か?あるという奇特な方か?いらっしゃったら、後は本文を読んて?貰うしかない。」(「まえがき」より)

【目次】
まえがき

■第1部 問題編
第1章 なぜこんな問題を考えるか
第2章 なぜ論文を〈です・ます〉で書いてはならないのか
第3章 〈です・ます〉肯定論

■第2部 日本語学・国語学編
第4章 「女子ども向き」説
[ノート①]〈です・ます〉とケア
第5章 「話し言葉」説
第6章 「敬語」説
[ノート②]人称詞と敬語
第7章 モダリティ
[ノート③]言語と主観性
第8章 待遇表現論
第9章 文体論

■第3部 日本語からの哲学編
第10章 〈です・ます体〉から〈である体〉へ
[ノート④]〈だ体〉の問題 
第11章 〈である体〉の人称的構造
第12章 〈です・ます体〉の人称的構造
[ノート⑤]文体、ジャンル、混用
第13章 文体から原理へ、学問経由
[ノート⑥]〈である原理〉と正義
第14章 〈です・ます世界〉と〈である世界〉
第15章 世界内の構成要素

■第4部 異論と展開編
第16章 文体と原理
第17章 二分法を超えて
第18章 我と汝、我とそれ
第19章 生成
第20章 制度と間
[ノート⑦]愛とケア

結びに代えて
あとがき

付録1 日本語と哲学、従来の研究
付録2 「ですゲーム」、あるいは哲学者たちの文体

内容説明

“である”と“です・ます”、二つの文末辞の違いを掘り下げていった末にたどり着いたのは、全く異なった二つの世界像=哲学原理だった。日本語からの哲学は可能か?文末辞からはじまる画期的な哲学入門。

目次

第1部 問題編(なぜこんなことを考えるか;なぜ論文を“です・ます体”で書いてはならないのか ほか)
第2部 国語学・日本語学編(「女子ども向き」説;「話し言葉」説 ほか)
第3部 日本語からの哲学編(“です・ます体”から“である体”へ;“である体”の人称的構造 ほか)
第4部 異論と展開編(文体と原理の関係;二分法を超えて ほか)

著者等紹介

平尾昌宏[ヒラオマサヒロ]
1965年、滋賀県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門は哲学、倫理学。立命館大学、佛教大学、大阪産業大学、追手門学院大学などで講師を務めるかたわら、邦訳スピノザ全集の計画に携わっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

どんぐり

86
〈です・ます体〉と〈である/だ体〉の日本語の問題から、なぜ「〈です・ます体〉で学術論文を書いてはいけないのか」を論じた本。話し言葉、敬語、話し手の態度を表すモダリティ、人称的構造など、ぐるぐると哲学している。日本語の〈です・ます体〉は「語り手」の一人称‐「聞き手・読み手」の二人称関係を、〈である/だ体〉は「語り手」の一人称‐対象となる「事柄」の三人称関係をベースにしている。→2024/04/29

榊原 香織

75
論文を、です・ます調で書いたら突き返されたそうで、そこから哲学が始まる。 前書きは面白かったんだけど、やっぱり哲学難しい。どーでもいいことに思えるけど、そこにこだわるのが哲学なのかな2022/11/20

ころこ

45
著者がアカデミズムで指摘された実体験をきっかけに、正式な文章がなぜ〈です・ます体〉で書かれない暗黙のルールがあるのか考察を重ねている。日本語は文末によって表現を調整しているところがあるので、日本語において文末は大切だ。にもかかわらず、文末における定まった規定は無いという。何となく硬い文章ほど〈だ・である体〉で書かれるが、特定の相手に届く文章は〈です・ます体〉が向いているというのは読者の実感の通りだ。手紙や講義録は〈です・ます体〉で書かれ、実際に読み易い。反面で〈です・ます体〉は単調で、冗長な印象を受けるの2023/07/25

みつ

27
「なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?」・・著者の実体験を出発点に、〈である/だ体〉と〈です・ます体〉を比較していく。前者が書き言葉でしか使われないむしろ特殊な分体であり、日本語を母語としない人向けの「やさしい日本語」では、話し言葉といずれでも使える〈です・ます体〉で教えるというのも腑に落ちる。圧巻なのは、二つの文体の差が「著者と話者の同等性にあるか非対称性にある」を述べたくだりだろう(p174他)。別の箇所では「述べる」と「語る」という形で対比し、この方がむしろわかりやすいかもしれない。➡️2023/10/09

makio37

14
<である世界>はあなたのいない世界、<です・ます世界>はあなたのいる世界。<である体>とはそこに「ある」物についての"述べ"であり、<です・ます体>とはそこに「いる」読者への"語りかけ"。<である体A>(日記)は読者を排除し、<である体B>(科学論文)では書き手に吸収する。<です・ます体A>(手紙)は二人称単数の、<です・ます体B>(初等教科書・ニュース記事)は二人称複数の読者を対象とする―。難しいが、「<である体>の方が客観的だから云々」という言辞が全くの的外れだという理解までは到達できた。2022/12/04

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