出版社内容情報
「キリスト教的西洋の脱構築」など、キリスト教徒でも西洋人でもない日本人読者には無縁の話だろうか。だが我々が「普遍的」とみなすもの(理性や愛、万人の平等や人格の尊厳など)、或いは近代的人間の条件と捉えるもの(人権、民主主義、知の制度、個人意識、政教分離など)はどれも西洋近代の人間中心主義を経て規定されてきたものであり、それはキリスト教の世俗化の結果であった。キリスト教的西洋は一つの地域文明に留まらず、それこそが「世界化」し、我々は皆その中で生きている。しかも人間中心主義から生じたはずの科学技術・産業・経済の複合的システムが破綻に瀕し、世界と人間の存続を脅かしている(原発事故もその一例である)今、行き詰まりつつあるそれらの価値観をその出処から改めて考察してみることは、我々日本人にとっても意義深いだろう。とはいえ本書で提示されるのは現代文明の病への処方箋などではない。そのような単一で短絡的な答えを求める思考を凌駕するものへと思考を開いていくことが脱構築なのである。
ナンシーは原始キリスト教の根底にあった要請、即ちそれまで神の領域とされてきた「外」「永遠」「無限」を人間自らの「内」に見出すという構えに注目し、自身の内で無限に自己を超越するものとの関わりをアドラシオンと呼ぶ。その躍動を宗教ではない形で引き受けることが、理性の閉塞を破るために求められるのだ。
ナンシーにとって思惟とは思惟を超過するものとの関わりに他ならず、したがって本書はそれ自体が、アドラシオンの実践とも言える。とりわけ終盤にみられる死をめぐる断章は、読む者の感受性にじかに触れ胸を揺さぶる。哲学とは決して単なる抽象理論ではなく、思惟と個々の経験との接触点を探る試みであることを本書は示してくれるだろう。(メランベルジェ・まき 上智大学教員)
【著者紹介】
Jean-Luc NANCY 1940年生まれ。フランス現代思想界を代表する哲学者。共同体の問題を始め、政治論、身体論、芸術論など幅広い分野で数多くの著作を発表しているが、「キリスト教的西洋の脱構築」とはそれらに通底する主題でもある。
内容説明
近代的思考の限界、それを凌駕するものへと向かうアドラシオンの思考。思考の閉域を開く、自閉した理性の囲いを破る。アドラシオン(崇拝/差し向け/語りかけ)の実践―それは「外」へと開かれる無数の意味の循環、思惟と経験の接触点で身を保つ無限の運動。
目次
1 意味の意味はない―それが崇拝すべきこと
2 世界のただ中に(キリスト教(何故?;無神論)
無神論でさえなく
イスラエル―イスラム
ひとつの世界、二つの次元
…と共に)
3 神秘と徳
4 補足、代補、断章(至福;過剰な語り;崇拝と還元;受肉/集積;無;内奥;存在/関係/熱情;移行;経済;万人/極み;霊/精神?;遠いところ―死)
補遺 フロイト―いわば
著者等紹介
ナンシー,ジャン=リュック[ナンシー,ジャンリュック] [Nancy,Jean‐Luc]
1940年生まれ。フランスの哲学者。ストラスブール・マルク・ブロック大学名誉教授。共同性と単独性の分有/共有の問題、キリスト教の脱構築、身体論、芸術論など、幅広い分野で独自の思想を繰り広げている
メランベルジェ眞紀[メランベルジェマキ]
上智大学講師。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、東京都立大学大学院博士課程満期退学、パリ第一大学DEA取得(哲学史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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