出版社内容情報
大学は800年前の水源に発して今も流れる河のようなものだ。そのなかで教員はつねに若返る学生を眺めながら老いてゆく。教員が教えたいと思うことは、学生が学びたいことであるとは限らない。教える者と学ぶ者はどのように出会うのか、あるいは出会い損ねるのかという問いは、さらに歴史を遡らねばならない永遠の問いだろう。ソクラテスによるソフィスト批判、キリストとその弟子たちの対話は、ボローニャ大学を創った学生たちの要求、ベルリン大学の教授たちの「学問の自由」をめぐる議論、1960年代末に起きた「五月革命」へとつながっている。
もちろん「河」を流れる水にすぎない教員や学生には、水かさの増した河の護岸工事や、その流れを変えるような土木作業はできない。それは官僚や政治家など、すでに「陸」に上がった人たちに任せるべき仕事だ。しかしそういう「大人たち」への信頼は、フクシマ以後の日本において失われてしまっている。今や学長ばかりでなく、教員や職員や学生でさえ、自らがそのなかにいる大学について、その社会や国家との関係について、根源的な反省を強いられている。
ところでそういう大学人にも、つねに生まれ変わりながら流れる大学という「行く河」の、3・11以後という岸辺に立ち、そこに生える「葦」となって「河」の来し方・行く末を想うぐらいのことはできるのである。パスカルやシェークスピアの昔から、それはむしろ人間としての本分であった。われわれは「考える葦」のように、あるいは一人のハムレットのようにこの地上に在る。人文学と大学をめぐるこの書物も、「地上にいる自分を、限りなく、単純なものとして、知覚する」というマラルメ的な欲望から生まれている。フクシマ以後を生きるにあたって、この欲望ほど切実なものもないのである。(おかやま・しげる)
【著者紹介】
1953年生まれ。早稲田大学政治経済学部教授、アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)事務局長。専攻はフランス文学。共著『大学界改造要綱』(アレゼール日本編、藤原書店)、共訳書C. シャルル、J. ヴェルジェ『大学の歴史』(白水社)など。
内容説明
われわれのなかに眠る神性を目覚めさせる大学、人文学、書物という翼。大学と、そこで紡がれる人文学の未来を「3・11以後」の視座から編み直す柔靱な思考の集成。
目次
第1部 イマジネールな知の行方(エロディアードの大学―マラルメとデリダによる;リクルートスーツのハムレットたちへ;ハムレットの大学 ほか)
第2部 アレゼールによる大学論(アレゼールの目指すもの―フランスの大学改革におけるその立場;学長たちとの惑星的思考―大学改革の日仏比較;ボローニャ・プロセスと『大学の歴史』―アレゼールからの批判と提言 ほか)
第3部 世界という書物(表象、ジャーナリズム、書物;書物逍遙(二〇〇四~二〇一三年書評)
書物という爆弾―一八九〇年代、ドレフュス派としてのマラルメ ほか)
著者等紹介
岡山茂[オカヤマシゲル]
1953年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程中退、パリ第4(パリ‐ソルボンヌ)大学第3課程修了。専攻はフランス文学。現在、早稲田大学政治経済学術院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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