出版社内容情報
放射能問題」が私たちに批判的/反時代的思考をうながしている
『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』出版に寄せて
矢部史郎
異彩をはなつ在野の思想家・矢部史郎氏が、「フクシマ後」の人間像と世界像をめぐって縦横に語り下ろした話題の新刊、『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』がついに刊行されました(インタビュアー=『現代思想』前編集長・池上善彦氏)。出版を機に、執筆の動機や本に込めた思いをつづっていただきました。
福島第一原子力発電所が「レベル7」の事故を起こして以来、放射能の問題にどう対処するかが、私たちにとって大きな課題となっています。世界は、原発事故による放射性物質の大規模拡散が日本にどのような被害をもたらすか、また、日本に居合わせた私たちがどのように放射能と対決するかに息を詰めて注目しています。そして「放射能問題」をきっかけに、分野をこえた数々の問いが生起しています。いま私たちは、自然科学の領域にとどまらず、自然科学と社会科学、さらには文学的課題も含めて、さまざまな領域を横断して考え、応答することを求められているのです。?そこでは、私たちの批判的思考の質も問われることになるでしょう。
本書『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』は、「反原発派」としての意見表明であるだけでなく「反放射能」=「ゼロベクレル派」の態度表明として書かれました。「復興」や経済維持の名のもとに、放射能の被害について過小評価することや、被曝を受忍することは、いまや「国民的合意」になりつつあるかにみえます。事故から一年余をへて、原子力行政の側はもちろんのこと、反原発派の側にも、被曝を受忍しようとする諦念に似た気分が広がっています。右派であると左派であるとを問わず、自己犠牲的行為が称揚され、「食べて応援」を強いる社会、つまり「放射能を食えという社会」が構成されつつあるのです。
ここにあらわれているのは、これまで積み上げられてきた人権概念がなし崩しにされる事態ではないでしょうか。人権を希求する社会にかわって、同調と自己犠牲を求める「社会」が登場したのです。放射能との「共生」を強いる社会とは、言いかえれば、人権が放棄される社会です。現在の日本において、私たちが批判的思考を働かせるならば、まずこの「人権の危機」を正面から受けとめ、応答するものでなければならないと考えます。
しかし、いま日本で起きている人権の危機は、危機であると同時に契機にもなりうるものです。社会科学も人文科学も、2011年3月を発端とするこの危機を境に生まれ変わるでしょう。しかし、ただ「生まれ変わるでしょう」と他人事のように構えているのでは充分ではありません。私は本書の出版に言寄せて、科学と文学を産み直す実践に自らをなげこむことを表明します。これは私個人の決意表明であるとともに、同時代の人々への呼びかけでもあります。いまこの社会で批判的に/反時代的に考えることは、これまで以上に刺激的で使命を帯びたものになっているのです。(やぶ・しろう)
内容説明
『原子力都市』『3・12の思想』の著者が提示する「放射能拡散問題」の新たな射程。「フクシマ後」の人間像と世界像を彫琢する刺激にみちた問答。
目次
1 「放射能を食えという社会」と防護運動の現在
2 ゼロベクレル派宣言
3 「がれき民主主義」の勃興
4 民衆による「新しい科学」
5 「古い科学」にツケを払わせる―テイラー主義の無能
6 「ゼロの日」以後の原子力都市
7 「拒否の思想」と運動の未来
著者等紹介
矢部史郎[ヤブシロウ]
1971年生まれ。90年代からさまざまな名義で文章を発表し、社会運動の新たな思潮を形成したひとり。高校を退学後、とび職、工員、書店員、バーテンなど職を転々としながら、独特の視点と文体で執筆活動を続けている。人文・社会科学の分野でも異彩をはなつ在野の思想家
池上善彦[イケガミヨシヒコ]
編集者。1956年生まれ。1983年、一橋大学社会学部卒業。1991年、青土社に入社して以来20年間、月刊誌『現代思想』の編集に携わり、93年から2010年まで編集長を務める。現在はフリー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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