偶有(アクシデント)からの哲学―技術と記憶と意識の話

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  • サイズ B6判/ページ数 194p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784794808172
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0036

出版社内容情報

★人間の全ての営みに外在する「偶有(偶然)性のプロセス」から現代人の生のあり方を考える。

 スティグレールはその独自の思想をいかに構築したのか。彼の最初の研究テーマは、プラトンのアナムネーシス(想起)だった。プラトンにおいて、人間は前世で観照したイデア=本質の記憶を自らの内に宿しており、それを想起することが何かを「知る」ことに他ならない。これに対して、スティグレールはプラトンの『メノン』の精読を通じて、プラトンが退けるヒュポムネーシス(文字や図等、外在する人工的な記憶)こそが、アナムネーシスの前提であることを導き出す。この指摘に含まれる外在性=偶有性の問題の射程は広い。人類は個体の記憶(経験)と種の記憶(遺伝)に加えて第三の記憶、つまりモノの形をとった個体の経験の蓄積である文化を持つ。後成的でありかつ、子孫に伝えられるという意味で種レベルのプロセスでもある「後成的系統発生」が、「ヒト」を「人類」たらしめ、その独自の歩みを支えてきた。何か(有形無形を問わず)を作る術=技術は人類史上欠かせない要素なのだが、哲学は一貫してその重要性を等閑視し否認してきたのである。
 ところが産業革命を経て産業がヘゲモニーを握って以降、記憶をめぐって新たな状況が生じる。蓄音機と映画は過去の正確な再現を可能にするが、一方で、同じ音楽や映像(時間の流れと共にのみ存在する時間的対象)が大規模に流布することにより、人々の意識が同じ時間を生きる「シンクロニゼーション」の傾向が生まれる。いまや文化産業は、人間の「意識の時間」を開発=搾取の対象とする。また、種の記憶たる遺伝子に対する操作も考え合わせれば、現代ではあらゆる意味での記憶が、各種産業にとっての原材料となりうるのだ。この状況において、哲学は、科学は、産業は、そして市民は何を考えるべきか…。今最も注目される哲学者の一人スティグレールが縦横に語る。

内容説明

いまや文化産業、情報産業は、人間の「意識の時間」を開発=搾取の対象とする。また、種の記憶たる遺伝子に対する操作も考え合わせれば、現代ではあらゆる意味での記憶が、各種産業にとっては原材料となり得るのだ。この状況において、哲学は、科学は、産業は、そして私たち個々の生活者は何を考えるべきか…。精緻な理論的考察と大胆な文明批評、そしてそれらを支える強靱な「知への欲望」と幅広い関心―、今世界で最も注目される哲学者の一人スティグレールがフランス公共ラジオ教養番組の中で哲学=技術の問題を縦横に語る。

目次

第1章 哲学者と技術(技術との出会い、哲学との出会い;哲学的対象としての技術 ほか)
第2章 記憶としての技術(プラトン著『メノン』―ヒュポムネーシスをめぐる思索の出発点;エピメテウス―補綴性の神話 ほか)
第3章 インダストリアルな時間的対象の時代における意識(技術と記憶技術;アルファベット―オルトテティックな記憶技術 ほか)
第4章 意識、無意識、無知(マーケティングによるリビドー枯渇;シンクロニゼーションの二つの側面 ほか)

著者等紹介

スティグレール,ベルナール[スティグレール,ベルナール][Stiegler,Bernard]
1952‐。デリダの指導下で哲学博士号取得後、大学講師を経てINA(国立視聴覚研究所)副所長、IRCAM(音響・音楽研究所)所長などの要職を歴任。また、フランス国立図書館のアーカイヴ構築に携わるなど、フランスのマルチメディア政策を主導。文化産業のあるべき姿を模索・提案する国際的運動組織Ars Industrialisの発起人であり、現在はIRI(リサーチ&イノベーション研究所)の総責任者を務める

浅井幸夫[アサイユキオ]
1965‐。上智大学非常勤講師。2002年、パリ第4大学DEA課程修了。専門はマルセル・プルースト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Ecriture

10
和田さんの存在論的メディア論を機械の仕組みから根源的に問い直したみたいな。哲学とは「機械を限界まで持っていくこと」。これは原発事故が起こった今よく理解できる。技術や科学を差延の中で考える試みは素晴らしい。「シンクロナイゼーション」てのは「気散じ」や「共働」無視の単純な考えなのかなと思ってたけど、ラスト付近でそうじゃないことがわかる。新たなシンクロ(シンクロとディアクロの結合)ができなくなるような、シンボルのディアボルへの反転を考えよう、と。デリダやルーマンを使ったメディア論の隙間を見事についてる。2011/04/02

Tenouji

8
外在的な記憶装置である技術を持ち、時間的存在である人間の多様性を開くためには、唯一性からの解釈の自由な可能性が重要なのであるが、経済的社会はそれらも意味の同期により搾取しようとしている、というスティグレール氏へのインタビューの記録。技術の意味を西洋哲学までさかのぼって捉えようとする姿勢は、とても面白い。が、社会批判については、構造的には、大人への成熟と同じで、ま、消費オプションが大人になることと信じている人たちへの痛烈な批判なわけねw。2018/01/21

おっとー

7
起源の欠如した「死すべきもの」である人間に与えられたのは、遺伝形質、獲得形質に次ぐ、第三の記憶という装置である。先祖代々伝わるものでも、個別に習得するものでもなく、外在化され、偶有的に精神に憑依する。これを支えるのがアルファベットなどの「技術」であり、スティグレールはこの技術の哲学に目を向ける。残念ながら、人間の特性である第三の記憶はオーディオやテレビの時代以降、徐々に機械化され、産業や怠惰に蝕まれつつある。第三次過去把持の可能性がなくなりつつある。彼の哲学は、記憶/精神/思索の復権を目指す取組みである。2017/10/22

Ayana

3
自分で考えようとしたときに、真に自由に思考するとはどういうことかという問題に直面する。このことを考えるには、技術、今日における記憶の産業化=意識の産業化...をまずは批判しなければならない...。帯にもあるが、なんとなくの「生きづらさ」を乗り越える思考のとっかかりにもなると思う。訳者あとがきで本書の議論がまとめられているが、これが非常にわかりやすくてよかった。2017/09/05

mittsko

2
【書きかけ】技術を否認するのではなく批判すること、精神と技術との不可分な組合せの諸相に注意を向けつづけること(「訳者あとがき」より) ルロワ=グーランが度々召還されるのは印象的2011/04/04

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