内容説明
文学の魅力を、もう一度!文学には社会の深層が如実に映し出されずにはいない。漱石から村上春樹までの、個人主義、記憶、身体論、終末期医療などの表現のなかに、現代の「リアル」をさぐる、スリリングな「文学社会学」の試み。作田啓一氏の長編論稿を収録。
目次
寺田寅彦における追憶の形式
分身と記憶―古井由吉「朝の男」をめぐって
村上春樹と個人主義のゆくえ
『ボヴァリー夫人』から『アンナ・カレーニナ』へ―三者関係論と二つの不倫小説
管理される生と生きられる身体のあいだに―『ウィット』に描かれる終末期医療
かけわたす人、円朝
文学からの社会学―作田啓一の理論と方法
日本近代文学に見られる自我の放棄―伊藤整の枠組に従って
日本近代文学に見られる自我の放棄(続)―リアルの現れる場所
著者等紹介
亀山佳明[カメヤマヨシアキ]
1947年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、教育学博士(京都大学)。現在、龍谷大学社会学部教授。専門、文化社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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akuragitatata
1
社会学者が文学作品や映画を読んで、それを読解する。ともすれば社会現象を論じるための「わかりやすいさきっちょ」になりがちな文学作品を、丁寧に読んでくれるという試みはありがたい。しかし論述に引かれる文献はほぼすべて社会学者か批評家のそれであり、基本的な一次資料の扱いなどにはいろいろものを言いたくなる方もいるだろう。驚くほど明快な論理でわかりにくいものはなく、こういうふうに国文学者も議論ができたら他領域からもっと参照されるだろうと思う。でも日本文学にはわかりにくく書かないと行けないという制度があるらしく文字数2017/07/22
田中峰和
0
文学社会学と呼ばれる分野は耳慣れないが、百年以上前、漱石によって研究対象とされていた。なぜ文学がその社会に生まれたかを研究し、「文学論」を記した漱石はこの分野の先駆者だった。漱石が近代における個人主義のジレンマを書いたように、20世紀後半に個人を追求した作家は村上春樹だ。主人公の僕は私的領域にとどまり、社会関係をミニマムに限定。家族や職場などの拘束的な社会関係はほとんどなく、個人としての自由を最大限に享受する。やがて村上はデタッチメントからコミットメントを唱え、態度変更した。社会学視点で文学研究は深まる。2016/06/20
na
0
寺田寅彦の文体、古井由吉の作品を通じての文学における「分身」の表現、落語家円朝と文学の関わり等々、興味深く読むことができました。 先月鬼籍に入られた作田啓一氏の文学社会学におけるまとめや、氏の論文も2本掲載されており、このタイミングで読むことができて良かった1冊です。2016/04/06